祭 神:天照大神 月読尊 素戔鳴尊 仁徳天皇 武内宿弥 野見宿弥 説 明:反正天皇の御宇に創建されたと伝えられます。 創建以後神職として奉仕された武内宿禰の後裔武川氏86代に して、現在に至るといわれています。 もともとは、姫山神社と称されていましたが、全国的に、真田 山の三光という名称が有名になり、今は三光神社と称している のだそうです。 真田幸村の抜け穴と呼ばれる穴があり、かつては、大阪城に繋 がっていたと伝えられています。 また、長寿の人・武内宿祢は、「寿老人」と同一視され、中風 除けの神社として有名なそうです。 住 所:大阪氏天王寺区玉造本町14番90号 電話番号:06−6761−0372 ひとこと:なぜ、三光と呼ばれたのか、という理由は書かれていませんが、 太陽・月・星が祀られているからでしょうか? 素盞鳴尊が星である・・・という説は、定説ではありません。 星の神様と言えば、どちらかというと、三筒男(オリオンの三 つ星)ではないのでしょうか。 さて、「夕づつ」とは何でしょう? 「夕づる」の間違いじゃないの?って??違いますっ!! 夕づつというのは金星のこと。夕方に見える星をゆうづつと言 うのです。オリオンの三つ星は三筒としたら、ツツというのは、 星のことを指すという意見もあながち外れてはいないのかも知 れません。 いえ、今ここで言いたいのは、この「夕づつ」こそ、素盞鳴尊 のことである、という意見を見つけたのです。 つまり、金星と太陽は一緒にいられませんね。「真昼の月」と 言うのはあっても、「真昼の金星」はあり得ない。 宵の明星が光ると、太陽は西に沈み、太陽が東から昇ると、明 の明星が光るのだ、と。 言われてみれば、、古事記では、始め、素盞鳴尊は伊邪那岐命 より、「海を治めよ」と言われたとなっています。 しかし、反逆した素盞鳴尊は、「母(伊邪那美命)のおられる 根の国(黄泉の国)に行きたい」と反抗するのです。 海を渡る航海士達は、星を見て方角を知りますが、惑星である 金星では、海を治められないかも知れませんね。 伊邪那岐命も無茶をおっしゃる(笑) 武内宿禰の後裔が神職として奉仕されているということ。 武内宿禰は、仁徳天皇にまで仕えたことになっていますから、 三代後の反正天皇の御世にできたこの神社に奉祀されたのは、 武内宿禰のお孫さんに当たる方だということにでもなるでしょ うか・・・。 仁徳天皇の即位は西暦で言えば406年。 反正天皇の即位は439年ですから、ことによれば、御子かも 知れませんね。 武内宿禰の子孫であると言われる、蘇我氏が活躍したのは、こ れより、まだ150年くらい後。 縁つながりのあるこの神社の宮司さんは、その頃、どうされて いたのか、少し気になります。