祭 神:天照皇大神 豊受姫大神 住吉大神 大国主大神 説 明:創建は不詳となっていますが、宮司さんのお話によると、「古 くはない。」ということです。 この辺りは、ごくごく最近まで沼だったそうで、そこに村がで きた時に、「産土神」として、この神社ができたのだそうです。 「この辺り一帯、蓮根畑だったんです」と説明くださいました。 「蓮池」ではなく、「蓮根畑」なんですねぇ。実用本位なのだ。 いいぞ、商魂! 住 所:東大阪市徳庵本町8番11号 電話番号:06−6744−0980 ひとこと:夏祭り前の忙しい時にお邪魔してしまったのですが、宮司さん は、いろいろお話をしてくださいました。 この地域一帯が新しい土地なのだそうですが、近所の「楯津」 は、かなり古い地名なのだそうです。(と素直に転載しました が、調べてみると、楯津という地名はありません。中学校・高 等学校の名前に盾津という名前が残っているだけです。地元で は、「盾津といえば、どの辺り」という感覚があるのでしょう。) 日本書紀「神武天皇」のくだりを読んでみましょう。 生駒を越えて、内津国に入ろうと、孔舎衛坂で長髄彦と戦った 神武軍ですが、劣勢。しかも、神武天皇の兄、五瀬命が流れ矢 に当たってしまいます。 そこで、神武天皇は、「日の神の子孫である自分が、太陽に向 かって敵を打つのは、天の理に反している。太陽を背に、その 威光を持って、戦うべきだ」と、一端退却されます。 そして、一端、草香(今は日下)の津まで戻り、楯を立てて、 志気を鼓舞された。だから、この津を「楯津」と呼ぶのだそう です。 そして、こう書いてあります。「今、この地を蓼津と呼ぶのは、 なまっているのである」 今は、盾津になってます。 なまるのを止めたんですね(^。^) さて、この神社の栞を読むと、「末社・闇おかみ神社」とあり ます。どこどこどこ???と捜すと、あった。ありました。 末社っちゅうより、入り口社だ。 シャレかなぁ。お笑い魂を感じる。