祭 神:磐長媛 説 明:本殿前案内には、 「当祭神ハ筑波山両神イザナキ・イザナミ尊第四御子磐長媛ヲ祠 ル 病ニテ登ル事能ズ此ノ地に於テ崩ズ 両神ノ下命ニテ下々ノ守護神と成ル」 とあります。 住 所:茨城県つくば市筑波 電話番号: ひとこと:磐長媛は、日本書紀・古事記では、大山祇神の娘で、木花開耶 媛の姉としてでてきます。 瓊々杵尊に嫁入りし、突っ返された為、「不美人」とされてい ますが、「源氏物語」に出てくる「不美人」の代表・末摘花の 容姿は、「痩せてて」「座高が高くて」「髪が多くて」「馬面」 「鼻が長い」です。 しかしですね。 「痩せてて」・・・羨ましい(T_T) 「座高が高い」・・・これは、まぁ、ちょっと弱点かも。 「髪が多い」・・・髪が豊か、と言い換えりゃ、美人の条件です。 「馬面」・・・平安時代の絵巻物を見るとみんな丸顔ですからね。 馬面というより面長だったんじゃぁ・・・。 「鼻が長い」・・・鼻筋とおってるってことでしょうか? こんな風に描かれてはいますが、平安時代の美女を見れば、「不 美人」の彼女は、目がぱっちりしてたんじゃないか?とか、口は、 大きかったんだろうな、とか思います。 総じて言えば、そんな不美人じゃないじゃ〜ん。ってことですね。 平安時代でさえそれです。 神話時代になってごらんなさい。 木花開耶媛より磐長媛のが現代ではずっと美しいなんてことは十 分ありそうです。 んが、歴史は繰り返す、とも言いますから・・・。 現代と神話時代の美醜感覚は一緒だったりして・・・。 は、いいとして、記紀で伊邪那岐命・伊邪那美命の第四子とされ ているのは誰でしょうか? 日本書紀本文によれば、まず天照大神・月読命・蛭子、そして、 素盞鳴尊を産んだとなっていますから、素盞鳴尊ですね。 古事記によれば、大事忍男神・石土毘古神・石巣比売神、そして、 大戸日別神となっています。 古事記は日本書紀と反対で、三貴子、つまり天照大神・月読命・ 素盞鳴尊は、最後に、しかも伊邪那岐命一人から産まれます。 古事記による最初に産まれた神のうち、第三子、石巣比売神は、 「いわすひめ」と読むのでしょうか、読みが、磐長媛に近いですね。 同じ神様かどうかはわかりませんけれどもどっかで混同した可能 性はあります。 でもそれよりもひっかかるのは、 「筑波山両神イザナキ・イザナミ尊第四御子」となっていることで すね。 筑波山神社の栞によると、この山の神は、当初から「イザナキ・ イザナミ」であったわけではないようなのです。その部分を引用 しましょう。 「筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、信仰の対 象として仰がれてきました。御山から受ける恵みの数々は、まさ に神からの賜物でありました。その山容が二峰相並ぶため、自然 に男女二柱の祖神が祀られました。その後祖神は『いざなぎの神・ いざなみの神』と日本神話で伝えることから、筑波のの大神も 『いざなぎ・いざなみ両神』として仰がれています。」 だとしたら、こう考えたほうが話が通ります。 筑波山の神様は、イザナギ・イザナミではなく、大山祇夫婦だ。 それにしても、伝説では、「長寿の象徴」として語られる磐長媛 が、病弱とは意外です。 瓊々杵尊が娶らずに実家に返したのは、案外病気療養のために返 しただけなのかも知れませんね。