祭 神:生井神 栄井神 綱長井神 阿須波神 波比岐神 説 明:波比岐(はひき)神・阿須波(あすは)神については、古事記 によると、大歳神と天知迦流美豆比売(あめしるかるみづひめ) の10柱の御子神のうちの2柱です。 阿須波神は、足場で、家や旅立ちの神様。波比岐神は、這入君 (はしき)で、屋敷神様なのだそうです。 この神社は、前に「牛滝川」後ろに「深山川」と高低相会する 地に位置するので「積川」という呼称があるのだそうです。 崇神天皇の時の建立で、歴代天皇の勅願社として崇敬が厚い、 神社なのだそうです。 住 所:大阪府岸和田市積川町349 電話番号:0724−79−0134 ひとこと:この神社と同じ5柱の神を祀っている他の神社を探してみまし ょう。 まず、福井県にある、足羽(あすわ)神社に生井神・福井神・ 綱長井神・阿須波神・波比岐神が祀られています。 んでもって、大阪市の真中にある(昔は海際だったんだろうな ぁ)坐摩(いかすり)神社にも、生井神・福井神・綱長井神・ 阿須波神・波比岐神が祀られています。 記紀に登場しない、「生井神・福井神・綱長井神」を同じよう に祀る、この三社にはなにかの関連があるのでしょうか? (「福井神」は「さくいかみ」と読んで「栄井神」と同神様だと 考えられる) ヒントは、足羽神社でしょうか。 この神社は、継体天皇が天皇即位のため越前を離れるにあたり、 自らの活き霊を封じ込め、姫馬来田姫を宮守として出発された という伝説がある神社で、5柱の神と一緒に継体天皇もお祀り されています。 継体天皇は、まず、河内国交野郡葛葉(現在の大阪府枚方市樟 葉)で即位をし、次に山城の綴喜(現在の京都府京田辺市)に 遷都し、その次に山城の乙訓現在の(京都府長岡京市あたり?) 最後に大和の磐余の玉穂(現在の奈良県桜井市あたり???) に落ちつかれました。 積川・坐摩神社と掠っていないところを見ると、少なくとも、 生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比岐神は、継体天皇 より以前から祀られていたという可能性は高そうです。 積川神社は崇神天皇の時代に建立されたとなっていますが、そ れに信憑性が加わると思います。 足羽神社のある福井は、海外からの文化がよく流れ込んできた 地域であるといわれます。 この5柱の神様を祭祀する氏族が、福井から、難波(坐摩神社) 泉州(積川神社)と、移動してきたのかも知れません。 ****************** 三井神の出自は、出雲にある御井神社に答えがありました。 出雲は簸川郡で産気づいた八上媛は、当地で安産され、その時 の産湯に生井(安産の水神)・福井(産児幸福の水神)・綱長 井(産児寿命の水神)の3つの井戸を使われたのだそうです。 つまり、この三井神は、大己貴と八上媛の子供、木俣神(御井 神)の産湯となった井戸の神様だったのですね。 出身は、福井よりもっと以前の、出雲だと言うことがわかりま した。