kenkou

梅宮大社

umemiyataisha




  祭  神:酒解神(大山祇神) 酒解子神(木花咲耶姫命) 
       大若子神(瓊々杵尊) 小若子神(彦火々出見尊)
  説  明:栞によりますと、
      「御由緒
       当社は今から凡そ千三百年前、橘氏の祖・諸兄公の母、県犬養
       三千代が、山城国綴喜郡井出寺の中に橘氏一門の氏神としてお
       祀りしたのであります。其の後、聖武天皇の妃・光明皇后が之
       を祀り度々所在を転じましたが、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀
       林皇后)によって今の神域に移し祀られ自ら御幸して、お祀り
       になったのが有名な梅宮祭の期限であります。
       其の後、延喜式の名神大社二十二社の中に列せられ、明治四年
       官幣中社に列せられました。
       酒造の祖神
       大山祇神は、木花咲耶姫命が彦火々出見尊を御安産になったの
       を非常に喜び給い、狭名田の茂穂を以って「天甜酒(あめのた
       むさけ)」を造ってお祝いなされたと、日本書紀に載っており
       ますが、是が穀物を以って酒を醸した始まりでありあす。
       大山祇神を酒解神、木花咲耶姫命を酒解子神と称え奉る所以で
       あります。
       授子の神(血脈相続の守護神)
       木花咲耶姫命は、天孫瓊々杵尊に召され給うや忽ち、一夜でご
       懐妊遊ばされたと云い伝えられて居ります。これが授子の神、
       即ち血脈相続の守護神としての由来であります。
       皇子の坐ざぬを非常に憂い給うた嵯峨天皇の妃・檀林皇后も、
       此の故事によって当社に祈願せられ、間もなく仁明天皇が御誕
       生になったのであります。
       またげ石
       当社境内に『またげ石』と唱える神秘な石がありまして、子宝
       の幸薄き者・夫婦打ち揃って参拝し祈祷の上、この石をまたげ
       ば子を授かることが出来ると言われ、其の霊験が遠近に聞こえ、
       多くの参拝者があります。
       安産の守護神
       木花咲耶姫命が一夜にして御懐妊の折、瓊々杵尊の御疑いを恥
       じ、海岸の砂の上に戸の無い室屋を作って其の内に入り、御身
       の貞節を天神地神に誓って火を放たれましたが、火焔の中で何
       の御障りもなく彦火々出見尊を御安産になりました。此の故事
       によって、檀林皇后も御懐妊の時は当社に御祈願の上、社殿の
       下の御砂を御産床の下にお敷きになって、御安産になりました
       が、これ即ち安産の守護神たる由来であります。以来、産砂を
       当社の御守として授与して居ります。
       縁結びの神
       大山祇神は、其の娘の木花咲耶姫命を天孫瓊々杵尊の御后とし
       て、縁結びされました神様であります。
       学業(文教)の神
       嵯峨天皇・檀林皇后は、平安初期に学問興隆に力をつくされ、
       特に嵯峨天皇は三筆のお一人であります。護王社の橘氏公公は、
       右大臣として檀林皇后と共に日本最初の学校『橘学館院』(現
       二条城の辺)を創設され、又橘逸勢公は当時の三筆のお人でも
       あり、遣唐使として唐に渡り、専ら書の道を極められた書道の
       先達・創設者であり、皆揃って学業の神々であります。
       音楽芸能の神
       仁明てんのうは雅楽演奏の名手で特に横笛の名手であられ、雅
       楽の作曲を我国で最初にされた方であって、其の曲名は西王楽・
       長生楽・夏引楽・夏草葦の四曲で、西王楽が現在迄伝わって居
       ると日本音楽の歴史に明記されております。」
       とあります。
  住  所:京都市右京区梅津フケノ川町30
  電話番号:075−861−2730
  ひとこと:木花咲耶姫命が火中出産したのは、4人とも3人とも言われる
       んですが、ここに祀られているのは、彦火々出見尊だけですね。
       彦火々出見尊は、通称(?)「山幸彦」。一番の出世頭ですし、
       この山幸彦の孫が初代天皇・神武天皇なわけですから、一番重
       要な神様ではあるのですが、他の兄弟としては、一言言いたい
       ところじゃないでしょうか。

       さて、この神社は、つまり、「橘氏の氏神様」だったんですね。
       橘氏って?

       橘氏は、遠祖が敏達天皇。
       橘諸兄(たちばなもろえ)が、初代です。
       この人物、もともとは葛城王を名乗っていたのだけれど、母親
       が、橘宿禰姓を賜ったんですね。

       なんで?
       実はですね。
       県犬養三千代(あがたいぬかいみちよ)は、まず敏達天皇の曾
       孫である、美努王と結婚し、葛城王ら三子を設けますが、後に
       離婚して、なな、なんと、藤原不比等公と再婚したのでした〜。

       そして、生まれたのは、後の聖武天皇の皇后・光明子。
       
       なるほど・・・。派手やかだわ。

       しかしまぁ、そんな橘氏が、「氏神様」として、大山祇一家を
       お祀りしたのはどういうわけでしょうか。

       勿論、彦火々出見尊は、皇祖。
       敏達天皇を祖先とする橘氏なのだから、おかしいわけじゃぁな
       いけれども。

       それにしても、この神社の主祭神は、大山祇神ですからねぇ。

       素直に考えれば、橘氏(敏達天皇)は、大山祇を遠祖とする、
       と読めるんですけれども。どうでしょうか。

       また、この橘氏、クーデター(謀反)を起こした人間が二人い
       ます。
       一人は、諸兄の子供・奈良麻呂。
       一世風靡した藤原仲麻呂を廃したのが、奈良麻呂の乱です。

       そして、栞にも名前がでる、三筆の一人、橘逸勢(成)。
       この人物は、いわゆる御霊神社に祀られている・・・つまり、
       悲憤の最後を遂げた人です。

       恒貞親王を擁して謀反(承和の変)を起こした罪で伊豆へ流罪
       になり、その途中で、病死したと言われていますが、御霊神社
       に祀られているということは、どうも、冤罪だったんでしょう。

       つまり、何が言いたいかといいますと、ですね。

       謀反を起こすということは、朝廷で力を持ちながら、No.1で
       はなかった人間が多いということです。

       なんとなく、瓊々杵と同じ天神で、しかもずっと以前に天降り
       しながらも、「王」とはならなかった、この祭神・大山祇神を
       髣髴とさせますが・・・。

home 神社のトップに戻ります back