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天石門別安国玉主天神社

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扁額




  祭  神:天石門別安國玉主天神 高龗神
  説  明:境内の案内板から引用します。
      「伊野町保護文化財
       第四二号 昭和六三年四月十三日指定
      (歴史資料)
       天石門別安国玉主天神社の棟札
       所有者 天石門別安国玉主天神社
       神谷領(城)主勝賀瀬越後が施主、勝賀瀬村神主衛門大夫が願主で、天文九年(一五四〇)霜月八月、天石門
       別安国玉主天神社を造立てしたときの棟札である。
       この神社は延喜式内社であるゆえ、遠く平安の昔からあったはずである。したがってこれは何度目かの再建造
       立ということになるだろう。
       棟札の上端は山形で、全高四十センチメートル、下部の幅八・五センチメートル、厚さ一・二センチメートル、
       桧材で作り、両面には『ヤリガンナ』の凹凸が残っている。棟札銘は墨書である。
       江戸時代中期、土佐の大学者谷泰山は、藩主の意を受けて国中を巡り、神谷に来て当天神社を検証し、式内社
       二十一社の一つであると確認された。その内容は、最も権威のあるものとして、今に珍重されている泰山著
      『土佐国式社考』にある。
           伊野町教育委員会」
  住  所:高知県吾川郡いの町神谷755
  電話番号:
  ひとこと:鳥居の扁額には「貴船神社」とありますし、御祭神の高龗神から考えても、式内社はもう一つの天石門別安国
       玉主天神社。
       高岡郡越知町に鎮座する天石門別安国玉主天神社ではないかという気もするのですが(笑)
       
       土佐国風土記(『釈日本紀』)に、
      「土佐の国の風土記にいう、―土佐の郡に朝倉の郷がある。郷の中に社がある。神の名は天津羽々の神である。
       天石帆別の神、今の石門別の神の子である」
       とありまして、天石門別安国玉主天神社と朝倉神社の関係が考えられているみたいです。
       
       天石門別神は、古事記や古語拾遺に登場する神様で、御殿の門を守る神様とされます。
       ただ、徳島県には天石門別豊玉比賣神社と天石門別八倉比売神社がありますから、石門別というのが神名なの
       かどうかはわかりません。
       むしろ、「天照国照」のような、尊称であると考える方がスッキリする。
       つまり、御門を守る役目の神々の中に、豊玉姫と八倉姫がいらっしゃった。
       
       そしてまた、安国玉主神という神様がいらっしゃるのである、と。
       
       門を守る神様。
       
       同じく古語拾遺では、掃守神が豊玉姫の産屋に蟹を「掃き入れた」という話しもあります。
      「鬼は外、福は内」
       選別し、良いモノは引き入れて、悪いモノは掃き出す。
       そういう役割だったのかもしれません。

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