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阿蘇神社

aso

aso_hitaki

鬼八を鎮める火焚神事が行われる、霜神社の火焚殿

asosani

噴煙をあげる阿蘇山中嶽




  祭  神:健磐龍命 阿蘇都比咩命 國龍神 比咩御子神 彦御子神 若比咩神 新彦神 
       新比咩神 若彦神 彌比咩神 速瓶玉命 金凝神
  説  明:ご由緒書を転載します。
      「御祭神
       社記によれば阿蘇神社の御創立は孝霊天皇九年(紀元前二八一年)と伝へていま
       す。祀ってある神様は全部で十三座ですが、その中で一、000年の昔から歴史
       の本にも記載されている神様が三座居られます。その神様の御名は、
       一の宮 健磐龍命(神武天皇様の孫神とつたえています)
       二の宮 阿蘇都媛命(一の宮の御妃神)
       十一の宮 國造速瓶玉命(阿蘇初代の國造)
       右三座の神様は他の神様より特に重く祀られて来て、これらの神様の御陵墓と云
       われている古墳が阿蘇神社より三キロほど離れた地点に点在しています。(中通
       古墳群と云い六世紀頃築造されたもの)
       他の十座の神々は近親の神様です。
       御神徳
       古い昔の事ですが、この阿蘇谷は満々と水をたたえた湖水でありました。阿蘇大
       神健磐龍命は湖水の水を切って落として美田を開き、農耕の道を教え国土の開拓
       に尽くされました。十一世紀以降、肥後一の宮と仰がれ肥後の国の総鎮守神とし
       て、広く尊崇を受けられるようになりました。国土の開拓とは、ただ産業の振興
       のみならず吾々人間生活にかかわりある交通、文化、学芸、結婚、医薬、厄除等、
       生活守護の神として限りない御神恩をいただいて居ります。
       阿蘇大宮司
       阿蘇大宮司家は、御祭神健磐龍命より綿々、累世、相継ぎ現大宮司は九十二代目
       にあたり、皇室に次ぐ旧家として世に知られています。特に中世以降は肥後の国
       の大半を領有して、皇朝のため尽すいし、御綸旨、軍忠状等の古文書も数百通保
       存してあり、足利尊氏の軍勢催促状『もとどり文』等の貴重な宝物も宝蔵されて
       居ます。」
  住  所:熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083
  電話番号:0967‐22‐0064
  ひとこと:阿蘇山はその昔、今よりもずっと高い偉容の山だったと言われています。
       この地に先着していた縄文人にとっても、当然崇拝の対象だったでしょうね。

       縄文人は人を殺す武器を持たなかったと言われます。
       また、定住しない民族でしたから、弥生初期、あるいはそれ以前にやってきた、
       武器を携えた弥生人にとっては、戦って降伏させる相手ではなかったかもしれま
       せん。

       それよりは、この地の利を知る縄文人たちを新しい文化によって恭順させ、従え
       る方が有益だったろうと思います。
       そして、先着の縄文人にとって、新しい文化を伝えてくれる弥生人は、まさに
      「神」だったはず。

       とすれば、阿蘇神社は、縄文時代から続く山岳信仰の聖地に、文化の担い手であ
       る弥生の首長(健磐龍命)を祭ったという事情なのかもしれません。

       阿蘇神社と関わりの深い、霜神社の火焚神事について、霜神社の案内板によれば、
      「火焚神事は、8月19日から10月16日まで、霜神社の火焚殿で農作物に霜の害がで
       ないよう、火焚乙女が火を燃やし続ける神事です。上役犬原(かみやくいんばる)
       ・下役犬原(しもやくいんばる)・竹原(たけわら)地区の氏子による輪番制で
       代々受け継がれています。
       火焚神事には次のような神話が伝えられています。
       阿蘇の開拓した健磐龍命は、毎日のように弓の稽古をしていました。家来の鬼八
       は九十九本までは弓を拾い、命に届けていましたが、百本目の矢は疲れて蹴り返
       しました。これに命は腹をたて、逃げる鬼八の首を切ると、その首は天に上りま
       した。鬼八は首の傷が痛むため、早霜を降らせて人々を困らせました。命は、鬼八
       の恨みをしずめるため、霜神社を建てて鬼八を祀り、火焚の神事を始めました。」
       とあります。
       
       鬼八は、高千穂峡の伝説によれば、三毛入野が恭順させた先着の民の名前。

       建磐龍命と三毛入野命の関係はわかりませんが、どちらにしても鬼八は、武器を
       もって侵略してきた弥生人にとっては目障りな、先着の部族の首長だったのかも
       しれません。
       
       なんにせよ、阿蘇はそれはそれは雄大な土地でした。
       私たちが訪問した日も噴煙をあげ、まさに「火の山」といった姿だったのです。

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