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日御碕神社

tomoda

上(神)社

tomoda

下(日没)社




  祭  神:下の本社(日沈みの宮):天照大御神
       上の本社(神の宮):神素戔嗚尊
  説  明:境内案内板を転載します。
      「日沈みの宮は、村上天皇天暦二年直目により現在の地に移し祀る。(一千年以前)
       上の本社は、安寧天皇十三年勅命により現在地に移し祀る(二千五百年以前)
       古来両本社を総称して日御碕大神宮と称す。
       日沈みの宮の遠源は、神代の昔素戔嗚尊の御子天葺根命又(天冬衣命と申す宮司
       家の遠祖)現社地に近い経島に天照大御神の御神託を受け祀り給うと伝えられる。
       又『日出る所伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り、日の本の昼を守り、
       出雲国日御碕の清江の浜に日沈宮を建て、日御碕大神宮と称して日の本の夜を護
       らむ』天平七年乙亥の勅に輝く日の大神の御霊顕が仰がれる如く、古来日御碕は
       夕日を餞け鎮める霊域とされ、また素戔嗚尊は出雲国の国土開発の始めをされた
       大神と称えられ、日御碕の『隠ケ丘』は素尊の神魂の鎮った霊地と崇められた。
      『神の宮』は素尊の神魂沈まる日本総本社として、『日沈宮』と共に出雲の国の大
       霊験所として皇室を始め、普く天下の尊崇をうけ、現在に至っている。然してそ
       の御神徳は天照大御神の『和魂』素戔嗚尊の『奇魂』の霊威を戴き、『国家鎮護』
      『厄除開運』『交通航海の安全』『良縁・夫婦円満・安産』『家業繁盛』の守護神
       としてご霊験あらたかである。
       現在の社殿は、徳川三代将軍家光公の幕命による建立にして西日本では例のない
       総『権現造』である両社殿とも内陣の壁画装飾は極彩色で鰈にして荘厳の至りで
       ある。
       社殿の殆ど、及石造建造物は国家重要文化財である。」
  住  所:島根県出雲市大社町日御碕455
  電話番号:
  ひとこと:案内板では、「下の本社」から説明されていました。
       上と下があって、下から説明されるなんて、ちょっと珍しいですよね。
       本来その形なのか、それとも、下社に祀られる天照大神に遠慮してのことなのか
       はわかりません。
       でも多分、後者ではないでしょうか。
       どう考えても、上(神)社の方が、重要視されているようだからです。
       
       しかしそれにしてもなぜ、太陽神たる天照大神が「日沈みの社」なのでしょう?
       
       夜を守護するなら、夜の神たる月読命がふさわしいと思うのですが。
       もしくは、海を守護するという素戔嗚尊も、星となって海の民を導くという意味
       では夜と関係が深い気がします。
       
       でも、この社では、天照大神が「日没後」=夜を守護するかのような説明となっ
       ているのが不思議です。
       
       とはいえ、太陽神が夜には何もしないというわけではないかも。
       
       エジプト神話で、ラーは夜の間に7つの死をくぐり抜け、朝に再生すると考えら
       れていました。
       つまり、太陽神は日没後、汚れた体を清められるのです。
       
       それを守護するのが、「日沈みの宮」だという信仰があった可能性はあるかも。
       
       もしくはもっと単純に、天照大神に対するある種の呪詛的意味があった……と
       考えたら、うがち過ぎ?失礼すぎ???でしょうか。
       
       なにせここは出雲。
       天照大神の神軍に侵略された地でもありますから。
       
       太陽神を日沈みの宮に封じ込めようという考えがあっても不思議はないかも??
       
       さて、どう思われますか?

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