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伊富岐神社

ifuki




  祭  神:伊富岐大神 素盞嗚尊 多多美比古命
  説  明:境内案内板を転載します。
      「古代伊富岐山麓に勢力を張っていた伊福氏の祖神をまつってあり、この神社
       付近には石器時代の遺跡や、山頂古墳も多く、古代の豪族が住んでいたこと
       も明らかです。この神社は古来より美濃の二の宮として崇敬されており、岐
       阜県指定の天然記念物の杉の古木があります。」
  住  所:滋賀県坂田郡伊吹町伊吹603
  電話番号:
  ひとこと:伊吹山は、滋賀県といっても、ほぼ岐阜県との県境といってもいい場所に位
       置しています。
       だから、この神社の杉が、岐阜県指定の天然記念物となったりするんでしょ
       うね。

       伊吹山の山頂にお社らしきものはありませんでしたが・・・と言っても、私
       が登頂した日、頂上は大嵐の上ひどい霧。
       大げさではなく、1M先も見えないほどでしたから、見落としている可能性
       はありますが・・・。

       とりあえず、この神社は伊吹山をご神体山としている可能性は十分あると思
       われます。

       伊吹山の神は、大和武尊を殺したとされる、大いなる力の持ち主。
       また、伊吹童子の住んだ山でもあります。

       伊吹童子については、岩波書店の「室町物語集上」から、引用してみたいと
       思います。
       長くなりますが・・・。

      「昔、近江の国に伊吹の弥三郎と申て、ゆゝしき人ありけり。其の父は弥太郎
       殿 と申て、古へより代々この伊吹山の主にてぞ侍りける。又、同じき国に
       大野木殿と申て名高き人侍りけり。その人、最愛の姫君を持ち給ふ。みめか
       たち美しくおはしければ、すなわちこの姫君を迎えて弥三郎の妻とさだめて
       比翼の語らひをなし給へり。
       此弥三郎と申は、みめかたち清らかに器量事柄いかめしくおはしけるが、幼
       き時より酒を好みて多く飲み給へり。おとなしくなり侍るに従って次第に多
       く飲みけるほどに、常に酒にのみ酔ひ浸りて心狂乱し、そゞろなる事をのみ
       ぞし給へりける。あはれ、我が腹に飽くほど酒を飲まばやなんど願ひ事にも
       せられけるが、近き辺りはほく六だうへ下り上りする道路なれば、商人のも
       て通ひける酒などをば是非なく奪ひ取りて飲まれけり。
       又、平生の肴には、獣、猿、兎、狸などのたぐひを、其まゝながら引き裂き
       ひきさき食せられしかば、毎日三四つのけだもの殺されしほどに、後には山
       林を狩りもとめてもつやつや鳥、けだ物なかりけり。
       かゝりしかば人民の家々に養ひ飼う所の馬、牛を奪ひ取りて食はれけり。恐
       ろしき有様なり。
       昔、出雲国簸川上と申す所に、八岐大蛇という大蛇ありしが、此大蛇、毎日
       生贄をとて生きたる人を食ひける也。また、酒を飲む事おびたゞし、八塩折
       の酒槽に飲みしほどに、飲み酔ひて素盞鳴尊に殺され侍りき。その大蛇変じ
       て又神となる。今の伊吹大明神これなり。されば此弥三郎は伊吹大明神の御
       山をつかさどる人なれば、酒を好き、生き物を好み給ふかやと、諸人恐れを
       なして旅人も道を行き通はず。村々里々荒れ果てたり。
       さるほどに大野木殿はこのよしをきこしめし、大きに驚き給ひ、いかさま是
       は人間にては有べからず、鬼のたぐひなるべし、彼もし年を経てば通力も出
       っで来つゝ、人倫を滅ぼし世のわざわひをなしつべし、いかにもしてこれを
       害せばやとおぼして、ひそかに謀をめぐらし、弥三郎を呼び給ふ処に、世の
       常の有様ならぬことを恥ぢて参らず。さらばとて大野木殿、いろいろの雑
       餉をこしらへ、伊吹殿へ立ち入り給へり。弥三郎すなはち出であひ対面し、
       色々の珍物を調へ、さまざまにもてなし侍けり。
       其時、大野木殿御もたせの酒を出されたり。弥三郎大きに喜びて、日頃の所
       望なればさしうけうけ多く飲みけるほどに、大野木殿の用意せられし酒、馬
       に七駄とやらん侍しを、悉く飲み尽くしけるぞと聞えし。
       さしも大上戸なりしが、ともかく夥しき事なれば、正体もなく飲み酔ひ、跡
       も枕もわきまへず、そのまま座敷に倒れ臥したり。
       運の極めこそ無慚なれ、大野木殿は、たばかりおほせりと勇み喜びつゝ、脇
       の下に刀を突き立て、あなたへ通れと差し込みて、我が舘にぞ帰られける。
       姫君は親子の御中なれども、かようの事をばゆめゆめ知り給はねば、弥三郎
       殿はいつもの酒に酔ひ臥し給へると思ひて、衣引きかづけ置かれたり。
       三日過ぎしかば、酒の酔ひ醒めつゝ起き上がりて、脇の下に刀の突き立て有
       りしをさぐり、大きに驚き、
      『さては大野木にたばかられけるこそくちおしけれ』
       とて、踊り上がりあがりせられしが、大事の所を突かれ侍るゆへに心も消え
       ぎえとなりて、つゐにむなしくなりにけり。
       弥三郎殿果て給ひけるよし聞えしかば、野人村老も安堵して在々所々も繁昌
       しけり。
       さても姫君は弥三郎殿に別れ給ひて、嘆き給ふ事限りなし。是はひとへに大
       野木殿の御しわざなるべし、情なの御事やと恨み給へども、せんかたなくし
       て過ごし給ふほどに、折節懐妊の月日満ちて、平らかに産の紐を解き給へり。
       ことに美しくけたかき男子にておはせしかば、父の忘れ形見に見るべしと、
       喜びていつきかしづき給ふほどに、いつしか弥三郎によく似給へりと人々申
       あへり。
       大野木殿このよしをきこしめし、『父のかたみとてもてなし給ふことは理な
       れども、弥三郎によく似候はば定めて悪行をなし侍るべし。おとなしくなり
       侍らぬさきに』と申つかはし給へば、姫君このよしきこしめし、『大野木殿
       はわらはが父にておはしませども、邪見の人にておはしましけり。弥三郎殿
       をたばかり給ふさへあさましく恨めしく、忘るるひまもなかりしに、昨日今
       日生まれ出てたまたま親子の喜びをなし、日ごろの悲しさをも慰めばやと思
       へば、重ねて憂き目見せむとてかやうにのたまふかや」と、からきことに恨
       みかこち給へば、『恩愛の中の愛しさは誰もさこそあれ』とあはれにおぼし
       つゝ、その後は、またのたまひ遣はす事もなし。
       かくて此児、月日かさなるまゝにいつしか成人し給へり。父によく似て酒を
       よく飲み侍りしかば、皆人、酒呑童子とぞ申ける。
       常に酒に酔ひて心乱れ、魂強くて咎もなき人をさいなみ、野山を走り歩きて
       馬、牛をうち叩きなど、幼き身に応ぜぬ悪行をのみ事としければ、辺りの者
       これを見て『さればこそ弥三郎の分身よ。今度こそ世の人種は尽くし給ふべ
       けれ」とぞ申ける。
       大野木殿このよしきこしめし、姫君の方へ使ひを立てて、『何とて申すこと
       を用ゐ給はぬぞ。只今に世のわざはひを引き出し給ふべし』と大きに責めい
       さめ給へば、『父の仰せも黙しがたし。其上、辺りの者どもも恐れ悲しめば、
       我が手に抱へ置く事は悪しかるべし』とて、日吉の山の北の谷にぞ捨てられ
       ける。その時童子は七歳にてぞ侍りける。
       かやうに親しむべき人々にも憎まれ、付き従へる民百姓にも疎まれて、そこ
       ともしらぬ深谷に住み侍れば、虎狼野干に害せられて、露の命たち所に消え
       ぬべしとこそ思ひしに、あへて衰ふる気色もなく悲しめる有様もなし。日を
       経月を渡りてたくましくなりゆくほどに、日比の形には変はりて恐ろしくす
       さまじき体なり。平生は木の実などを採りて食しけるが、後には鳥類、畜類
       などを服しけるとぞ聞こえし。
       其後、小比叡の峰に移りてしばらくあひ住みけり。此所には二の宮権現天下
       りおはしまして、悪鬼邪神をいましめ給ふゆへに、又其峰をも逃げ出にけり。
       ことに此二ノ宮権現と申奉るは、此日本国の地主にてぞおはしましける。昔、
       天照大神、天の岩戸を押し開き、点の瓊鉾をもつて青海原をかきさぐり給ひ
       し時、鉾に当たる物あるを『なんぞ』と問ひ給へば、『我は是日本の地主な
       り』と答へ給ひし国常立尊におはします。本地を申せば、当方浄瑠璃世界の
       主、薬師如来なり。『人寿二万歳の始めよりこの所の主たり』と釈尊に語ら
       せ給ひしなり。(後略)」

       この後は、息子である酒呑童子の話しに移りますので、略しますが、つまり、
       伊吹大明神の前身は、八岐大蛇であったというわけです。

       それが人として具現し、伊吹童子・・・つまり、伊吹の弥三郎となり、その
       子は、酒呑童子と呼ばれるようになった、と。

       そして、その共通項は、肉を喰らい、大酒を飲むことである、と。

       そして、もう一つ面白いのは、酒呑童子が小比叡峰にいたとき、彼を追い払
       ったのが、薬師如来であるということ。

       以前、「製鉄の民は目をやられるので、薬師如来を祭った」と教えていただ
       いたことがあるのです。

       八岐大蛇・酒呑童子(鬼)ともに、製鉄と関わりが深いとされていることは
       興味深いことではないでしょうか。

       八岐大蛇と酒呑童子に大いなる関係を持ち、大和武尊を倒した山の神。
       この神を祀っていた人々がどれほど大きな力を持っているかを暗示するには
       十分でしょう。

       また、このご祭神の一柱である、「多多美比古命」も興味深いのです。
       神社新報社の「日本神名辞典」によりますと、

      「霜速比子命の子。夷服岳神、気吹男神、伊富岐神ともいふ。姪の浅井比唐ェ
       をり、これを浅井岳神といふ。ある時、夷服岳神は浅井岳神と高さを競った
       ところ、浅井岳神が一夜にして高さを数百尺増したため、多多美比古命は怒
       って浅井比唐フ首を斬った。その首が飛んで竹生島となったといふ。」

       近江国風土記逸文に同曲の話しがありますが、これは古代、この地域で起き
       た戦を戯曲化したものかもしれませんね。
       とすれば、伊吹の人々は浅井の人々と戦い、浅井は負けて、竹生島へ籠もっ
       た・・ということかも。

       多多美比古=夷服岳神=伊富岐神であるということは、多多美比古命もまた、
       八岐大蛇の化身であるということでしょう。

       この神社のご祭神を見てください。

       伊富岐神・多多美比古神と一緒に祀られているのは・・・。
       八岐大蛇を退治したはずの、素盞鳴命なのです。
       偶然かもしれませんが・・・。

       伊吹の神が、八岐大蛇の後身であるという話しは、後付の説話ではないかも
       しれません。

       伊吹山は、「風の通り道」と言われるそうです。

       確かに、麓にいてからして、風の力で5キロほどのリュックが飛ばされそう
       になったほどです。

       この風は、たたら製鉄には適していたかもしれません。

       この山で、昔どんな人々が生活を営んでいたか。
       それは、私の預かり知るところではありません。

       しかし、私がこの山を登った日、立て込める霧の中からふと、白い猪に乗っ
       た古代の人が現れても、まったく不思議を感じないような、神聖な雰囲気が
       私を圧倒していたのでした。

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