祭 神:天照坐皇大御神御魂 説 明:境内案内板を転載します。 「伊雑宮は皇大神宮(内宮)の別宮であり、御祭神は天照坐皇大御神御魂です。 古くからこの地に祭られ、『伊雑宮』とか、『磯部さん』などと呼ばれており、『大神の遥宮(とおのみや) と記され、『志摩国の一之宮』とも称されています。 社名の伊雑は、この地域の古代の地名であり、昔も今も全国各地から大勢の参拝者が訪れています』 磯部神社の境内案内板を転載します。 「祭神: 正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊 天穗日命 活津日子根命 熊野杼樟日命 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命 素盞嗚命 大幡主命 少名彦命 大山祇命 猿田彦命 神倭磐余彦尊 譽田別尊 玉依姫命 速秋津彦命 速秋津姫神 石凝姥命 櫛玉命 天目一箇命 臂摩乳命 脚摩乳 金山彦命 武甕槌命 天尾羽張神 大田命 天太玉命 天鈿女命 豐受姫命 彦火瓊瓊杵命 鵜茅草葺不合命 伊弉冉命 速玉命 家都御子神 手力雄命 ここ磯部町は伊勢神宮別宮『伊雑宮』ご鎮座の地であり、伊雑神戸の郷として、古来、神宮との関係が密接で した。 磯部の地名の由来は、古くから当地に居住して、長く神役公役を務めた磯部氏の名をとって地名としたであろ うと言われています。井坂丹羽太郎著『志摩国旧地考』には、『度会神主氏の支族磯部氏人此宮ニ奉仕シ、此 地ニ居住シテ……云々、磯部氏伊雑神部ニ居住シテ神役公役雑務ニ預リシ事『伊雑宮遷宮記』・『内宮引付』 及『古文書』等ニ載セタルニテ著名ナリ』と著され、伊雑宮との不快結びつきをうかがい知ることが出来ます。 したがって郷内の四十余社は、あたかも伊雑宮の摂末社のような関係を保ちつつ、伊雑宮の神人達により氏神・ 産土神として奉祀が続けられてきました。 明治後期、全国的な神社合祀の気運の高まりに、村内の十大字の各神社を正月殿社跡地に移転合祀したのが 『磯部神社』の始まりで、磯部郷の惣社とも称すべき神社です。 さらに昭和三十年町村合併にともない、度会郡神原村為基地区の産土神を神原神社より分祀し、同年十二月九 日磯部神社に奉遷合祀して現在に至っています。 そのため、磯部の神人は、今なお正月には伊雑宮・磯部神社・佐美長神社(穂落とし神社)の順に三社詣でを する慣わしを守っています」 住 所:三重県志摩市磯部町恵利原1250 電話番号: ひとこと:佐美長神社については、角川書店『日本の伝説』から引用します。 「伊雑の干潟の上へ、一羽の真名鶴が飛来してしきりに鳴き騒ぐので、倭姫命がその場所へ行ってみると、一つ の茎から千の穂が出た稲があった。倭姫命は伊佐波登美命に命じてこれを抜かしめて、天照大神の御魂に献じ た。その鶴を大歳神として祭ったという佐美長神社が、伊雑宮の西南八〇〇メートルほどの丘の上にある。こ の伝説によって、穂落宮ともよばれている社である。 倭姫命は稲が生えていた場所に、引水池と苗代を造らせた。その池は千田の池とよばれていたが、今は跡をと どめない」 伊雑宮の御田植祭は、大阪の住吉大社、千葉の香取神宮の御田植祭とともに、日本三大御田植祭と呼ばれます。 その御田植祭が行われるのが御神田。 天武天皇が、伊勢を神聖の地として度会氏から譲り受け、伊勢神宮を建立したのは、この地が御食国だからで しょう。 とはいえ多分、豊かだったのはリヤス式海岸でとれる海産物だったんじゃないかと思います。 そこに「やまと」ひめが稲穂を持ち込むというのは、何かしら暗喩的に思えます。