祭 神:彦火火出見尊 説 明:境内案内板を転載します。 「この鹿野田神社は明治の始めごろまで、潮妙見大明神とか潮妙見様とかいわれ、彦火火出見尊を お祀りしてあります。 創建の年代ははっきりしておりません。 棟札は弘安六年(1282年)からありますので、非常に古い物と推察されます。 『彦火火出見尊は別名を火遠理命といい、海幸山幸の物語の中の山幸彦でありますが、兄君火照命 の釣り針をなくされ、それを探しに海神綿津見大神のもとへ行き、三年の後なくした釣り針の ほかに潮満玉・潮涸玉を授かって帰られました』(古事記) この潮満玉・潮涸玉が鹿野田神社のご神体であり、この潮満玉の泉はその御神徳によるものとい われております。 この潮満の泉は深さ一丈(約3メートル)余り、海を隔たること三里(12キロ)に余りながら この潮水は海水の干潮と時を同じうして増減するといわれております。 享保十一年(1726)の社殿再興の棟札には、上下万民崇敬の様子を述べると共に、この潮満 の泉の功徳をたたえて哀愍六合を覆うと述べております。 平安時代の有名な女流歌人和泉式部は八代の法華嶽薬師に参籠した後、帰京の途中再び病となり 鹿野田氷室の郷(潮)までたどりつき、この潮満の泉での湯治をと思ったのか、近くの薬師堂に 籠もり、読経三昧の日を送り、遂にこの地で四十三歳の生涯を終わったと伝えられております。 『日隠れや氷室の里を眺むれば藻塩の烟りいつも絶えせぬ』 これは和泉式部の歌といわれ、近くに籠もった薬師堂跡t式部の墓があり、里人によって祀られ ています(日隠れ=場内の古名) このように由緒深い潮妙見様は、伊東氏・島津氏の両時代も領主領民に深く崇敬されてきました。 江戸時代の末には、勤王の志士高山彦九郎が諸国遊説の途、この社に参拝し、村人と濁り酒を汲 み交わし、また飫肥藩の学者安井息軒が都於郡の史跡巡りをしてここを訪れ、神主の丸山宅に一 泊して夜通し神楽を見学し『筋骨の荒ぶる神の一さじに天の岩戸は早明けにけり』と詠んだと記 されています。 時は流れて今日に至るも常に里人の崇敬は篤く、霊験あらたかなるこの潮満の泉の塩水を薬用と して飲用する人もあり、春秋の大祭には大変な賑わいを見せています。」 住 所:宮崎県西都市鹿野田2020 電話番号: ひとこと:一舐めしてみましたが、確かに塩水です。 内陸部なのに、不思議。 地下に水路でもあるのでしょうか。 地質学のプロでもある友人に聞いたら、 「疑問を持つのは良いこと。調べるのはもっと良いこと」 と(笑) ケチ。 調べたら、どうやら「化石海水」のようです。 なんらかの理由で閉じ込められた太古の海水が、湧き出ることがあるようです。 この地は山幸彦・海幸彦の伝承地にもあります。 その地にこんな不思議な泉があるなんて、素敵な偶然ですね。