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川口白山比咩神社

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  祭  神:菊理比咩命 伊弉諾命 伊弉冉命 
  説  明:案内板から引用します。
      「一志郡白山町大字川口山尾田七、一二〇番地に所在。
       総本社は石川県石川郡鶴来町にあり、古来加賀の国の一宮と言われている。菊理比咩命・伊弉諾命・伊弉冉命
       を祀り、これを白山権現という。一志郡七白山中、この三尊を祀るは当社のみなるをもって、古来正白山とい
       う。一間社隅木入春日造、軒唐破風付、屋根檜皮葺の建物と元亀四(1573)年銘の石造灯籠があり、貴重な特
       色のある県指定文化財である。
       その他『山尾田興廃記』万治二(1658)年の記録に種々伝えられている。
           白山町」
      「當社は、菊理比咩命を祀り、右に伊弉諾命、左に伊弉冉命を配す。七白山中諾冉二尊を配すは川口村の白山の
       みなれば、正白山と称す。
       社有地壱千餘坪を有す。鎮座年月は不詳なれど『山雄田興廃記』によれば、白山権現當山御鎮座は、人皇第五
       十代桓武天皇の御代よりとあり。往昔は本社三社十二社長宮神楽殿拝殿等厳しく建て、山内西方に八幡宮、山
       内北方に愛宕山、山内巽方に八王子の末社あり。東南西北及中門には、各大門あり。今尚旧跡を存す。多気国
       司北畠氏の御祈願所なり。織田信長公と多気国司北畠氏との戦のため北畠国司は亡び、當社は兵火に罹り、永
       禄十二年七月十三日炎上し、縁起巻物宝物等悉く烏有に帰す。信長公の舎弟織田上野守津城修理のため、當山
       の大樹石段共失う。其の後太閤御検地の砌、院内まで御検地被り、愈々退転す。信長公の兵火から逃れた中宮
       一社に於いて祭儀を勤める。
       棟札に慶長二十年乙卯八月十六日、御遷宮、寛文二年、貞享三年、享保九年、天文二年、文政二年等、胸札今
       に存す。
       本殿は修復工事の際、寛文二年の建立であることが判明す。
       附 織田上野守津城修理のため當山の巨樹を悉く伐り、巨石石壇共運び去るが、神社前方石段中三十三段目に
         当時の面影を偲ぶ石段一個今に存す。
       儀 歳旦祭一月一日午前六時 春祭四月十日午前十時
         例祭十月十日午前十時 秋祭 十二月十日 午前十時
         大祓六圧三十日 十二月三十一日 午後一時
         平和の宮祭九月十八日 午後一時
         
       平和の宮 御祭神 戦争犠牲者 百五十六柱の御英霊
             昭和二十三年九月十八日 御霊遷の御祭斎行」
  住  所:三重県津市白山町川口7120
  電話番号:
  ひとこと:倭白山比咩神社、飯福田、山田野白山比咩神社、竹原神社、八ツ山神社、家城神社と当社で七白山比咩神社と呼
       ばれているようです。
       
       その中で、総本山、加賀一之宮白山神社と同じ祭神なのは、ここ川口白山比咩神社だけであると。
       
       飯福田は離れているのと、跡しか残っていないとのことなので参拝していませんが、それ以外六社のうち、ここ
       川口か、倭がことに立派な社殿でした。

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