祭 神:櫛石窓命 豊石窓命 大宮比売命 説 明:境内案内板を転載します。 「社殿の後方にある高さ約30mの丘は、宮山と呼ばれ、頂上付近には巨岩が 三個あり、宮山は神奈備で、巨岩は岩座です。 山や巨石等に神が鎮座されるという、古代の信仰をそのままに伝えています。 ご神体の櫛石窓命坐像、豊石窓命坐像、大宮比売命坐像は皆、国指定重要文 化財です。 ご祭神は、厄災を追い払い、皇居の御門を守護する神と女官神であって、朝 廷や領主が篤く信仰しました。もと大芋荘など四十八か村の総社で、兵庫丹 波唯一の名神大社です。」 住 所:兵庫県篠山市福井1170 電話番号: ひとこと:ご祭神は、ちょっと面白い神様です。 古事記においては、天孫降臨に際して登場します。 その箇所を引用陽しましょう。 「かくて天の児屋の命・布刀玉の命・天の宇受売の命・伊斯許理度売の命・玉 の祖の命、合わせて五部族の神を副えて天から降らせ申しました。この時に 先に天の石戸の前で天照らす大神をお迎えした大きな勾玉、鏡また草薙の剣 及び思金の神・手力男の神・天の石門別の神をお副えになって仰せになるに は、『この鏡こそはもっぱら私の魂として、私の前を祭るようにお祭り申し 上げよ。次に思金の神はわたしの御子の治められる種々のことを取り扱って お仕え申せ』と仰せられました。この二神は伊勢神宮をお祭り申し上げてお ります。なお伊勢神宮の外宮には豊由宇気の神を祭ってあります。次に天の 石戸別の神はまたの名は櫛石窓の神、また豊石窓の神といい、この神は御門 の神です」 ここだけ見てはわからないでしょうが、ここに登場する神々は、天照大神が 天岩戸に隠れたときに活躍した神様です。 岩戸から出てこない太陽神を誘い出すため、鏡を作り、勾玉を作り、占い、 道具をセッティングし、祝詞を奏上し、宇受女命が踊りを舞います。 すると、天照大神が顔を出したので、手力男命が手をとって引き出し、最後 に、岩戸に注連縄をかけておしまい。 天児屋の命は、占いと祝詞奏上を。布刀玉の命は、占い・セッティング・岩 戸への縄かけを。宇受売の命は踊りを、伊斯許理度売の命は鏡作りを、玉の 祖の命は勾玉作りを、そして、思金の神はすべてのプランニングを、手力男 命は天照大神を引き出す役目をそれぞれ担っていました。 が、天の石戸別の神・・・つまり、櫛石窓の神と豊石窓の神は登場しないの です。 天孫降臨に至って、唐突に登場します。なんででしょう? これは、古語拾遺や先代旧事本紀にヒントがあります。 ほぼ同じ内容ですので、古語拾遺を引用しましょう。 「(天照大神が天岩戸の)戸を聊かに開きて窺す。ここに、天手力雄神をして その戸を引き啓け、新殿に遷し座さしむ。則ち、天児屋命・太玉命、日御綱 を以て、其の殿に廻懸らし、大宮売神をして御前に侍はしむ。豊磐間戸命・ 櫛磐間戸命の二はしらの神をして、御門を守衛らしむ。」 ここに、大宮売神も登場しました。 本文中には、大宮売神については 「是、太玉命の久志備に生みませる神なり。今の世に内侍の善言・美詞をもて、 君と臣との間を和らげて、宸襟を悦懌びしむる如し」 と説明され、 豊磐間戸命・櫛磐間戸命については、 「是、並太玉命が子なり」 と説明されていますから、この神社のご祭神は、皆、太玉命の御子であると いうことがわかりますね。 また、延喜式の「祈年祭」の祝詞の中にも、登場します。 その部分のみ、抜書きしましょう。 「御門の御巫の辞竟へ奉る皇神等の前に白さく、櫛磐間門命・豊磐間門命と御 名をば白して、辞竟へ奉らば、四方の御門にゆつ磐村の如く塞がり坐して、 朝には御門を開き奉り、夕べには御門を閉て奉りて、疎ぶる物のしたより往 かば、下を守り、上より往かば、上を守り、夜の守り・日の守りに守り奉る が故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ。」 つまり、この御祭神は、天照大神とその子孫が住む宮殿の門を守衛する神で あるというわけですね。 あぁ、スッキリ。 ・・・が、何かがひっかかります。 つまり、天岩戸に注連縄を引き回した・・・というところです。 説明として、「二度と天照大神が篭ったりしないように」注連縄を張り巡ら せたとはなっています。 しかし、天照大神が、本気でもう一度篭ろうとしたら、縄を外すのなんか簡 単なはずです。 現在、注連縄は、「結界」と考えられていますよね? 神聖な場所に、悪いものが入らないようにするためのもののはずです。 しかし・・・。 天岩戸は、天照大神が隠れていた場所です。 そして、天照大神はもうそこから出て来て、太陽となって世を照らしている のです。 なぜ、空っぽになった天岩戸を守る必要があるのでしょう?? そしてもう一つ。 古語拾遺によれば、天岩戸を出た天照大神は、「新殿」に遷座しました。 勿論、そこには、「いやなことのあった古い家にお戻りいただくのは忍びな い」という、神々の配慮もあったことでしょう。 でも、この流れをもう一度見てください。 汚れた太陽神が磐に隠れ、しばらくの後再び姿を現す。 その後太陽神は新しい場所に遷り、磐には結界が張られた。 何か、呪術的な意味を感じ取ってしまいませんか? 岩戸の中は・・・本当に空っぽなんでしょうか? 岩戸にめぐらした注連縄は、二度と日神がその中に入らないようにするもの ではなく、その中に入っている「何か」を封じ込めているのでは・・・。 そして、櫛磐間戸命・豊磐間戸命も・・・。 門を守っているのは、悪いものを入れないためなのでしょうか? それとも、中に鎮座ましますものを出さないためなのでしょうか? また、大宮売命の存在も気にかかります。 つまり、君と臣の中継ぎ役です。 つまり、君の側で君と語らうことが出来るのは、大宮売命だけ、ということ にはなりゃしませんか? 天照大神は、「最高神」です。 最高神を封じ込めるというのは、理屈に合わない話しです。 しかし、何かがひっかかる。 あの日、岩戸から再登場した女神は、以前の女神とは違っていたのではない かと邪推してしまうわけです。 そのことを秘密にするために、新殿も、岩戸も封じ込めた。 ・・・あんまりにもトンデモなんですけどね(笑) ただ、やはり、このくだりは妙な気がしてならないんですよね。 何かが、ごまかされている、そ〜んな気がして、怪しい考えをめぐらしてし まうのでした。 やれやれ。