kenkou

和布刈神社

mekari

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この鳥居の下の海で和布刈神事が斎行される




  祭  神:比賣大神 日子穂々手見命 鵜草葺不合命 豊玉日賣命 安曇磯良神
  説  明:境内案内碑を転載します。
      「九州最北端に位置するこの神社は、社記によると、仲哀天皇九年に比賣大神、日
       子穂々手見命、鵜草葺不合命、豊玉日賣命、安曇磯良神の五柱の神を祭神として
       創建され、江戸時代までは、速戸社とか隼人社と呼ばれていました。
       近世末までは、時の領主である大内氏、毛利氏、細川氏、小笠原氏の崇敬庇篤く、
       神殿前には細川忠興公が寄進した灯籠があります。
       この神社には古くから和布刈神事が伝えられていますが、李部王記によれば、和
       銅三年(七一0)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したとの記録があり、奈良
       時代から行われていたものです。
       神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われています。三
       人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめを刈り採って、神
       前に供えます。
       わかめは、万物に先んじて、芽をだし自然に繁茂するため、幸福を招くといわれ、
       新年の予祝行事として昔から重んじられてきたものです。
       神事のうち、わかめを採る行事は、県の無形民俗文化財に、また当神社に伝存す
       る中世文書九通は、市の文化財に指定されています。」
  住  所:福岡県北九州市門司区大字門司3492
  電話番号:093‐321‐0749
  ひとこと:比賣大神とは、宗像三女神のことのようですね。
       海の女神です。
  
       磯良は神功皇后と深い関係のある人物で、顔に牡蠣の殻をいっぱいつけていたと
       も伝えられる海の民です。

       この神社が「隼人社」と呼ばれていたのなら、弥生人より先にこの地に住んでい
       た人々「隼人」の社だったのかもしれませんね。

       関門海峡に向かって建てられた鳥居の先には、下関が見え、独特の雰囲気があり
       ます。

       ここでは壇ノ浦の戦いもありましたし、もっと昔にも海戦があったのかもしれま
       せん。

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