祭 神:木花開耶姫命 大山祇命 彦火火出見尊 説 明:境内案内板を引用します。 「第二十九代欽明天皇(540)の御代、皇后堅塩媛命が御懐妊の御時に、天皇は勅命を以って甲斐国に七日 子の神『祭神 木花開耶姫命 大山祇命 彦火火出見尊』を祀られ、御神田による貢米を宮中に召された。 皇后御臨産に当たり、貢米を御粥に炊いて差し上げると、いと安らかに皇女を御出産せられた。これは七日 子の米粥の御得と思召され、御名を豊御食炊屋媛(とよみけかしみやひめ)尊と崇め奉った。この御方が後 の方三十三代推古天皇である。 この時摂政の聖徳太子は神慮を仰ぎ、奉幣を厚くされた。爾来七日子の米粥の神事は、宮中の産養の吉例と して行われたことが、平安期の長秋記・王海等に記録されている。 康和五年(1103)宗仁天皇『後の第七十四代鳥羽天皇』が御生まれになり、御七夜の産養の祝儀が行わ れた時、源俊頼が次の歌を祝詠したことが散木奇歌宗にある。 君が代は七日子の粥七がへり 祝子心にあえざらめやは 又、室町期には宗祇法師も次のように詠じている。 貢ぎせしその甲斐ありて七日子の 今も絶えせぬ神の瑞垣 足利末期(1570前後)には兵乱が続いたため、宮中の産養の神事は廃れたと言われているが、七日子の 神は貢明神と崇敬され、安産の守り神として民間信仰の拠点となって、今日に至っている。 現在社殿の床下には巨大な磐座があり、その周辺は御砂が敷き詰められている。神前には安産の御砂箱が安 置され、神域には陽根石、婦人の禁忌石、小児の寿福石等がある。 神社の周辺一帯は石器時代の住居跡が密集し、縄文時代より奈良朝に至る文化遺物の伴出により、昭和二十 四年、山梨県の七日子遺跡として史跡指定されている」 住 所:山梨県山梨市七日市場1068 電話番号: ひとこと:木花開耶姫が案安産の神というのは、わかりやすいのですが、この神社境内にある石のうち、寿福石が有名 なようです。 村人が産屋明けの参宮の際、この石に赤児を立たせて石を踏ませれば、福寿をまっとうすると信じられてき たとか。 大事な石を踏ませるんだから、昔の人は大らかです(#^.^#)