祭 神:建速須佐之男命 稲田姫命 大己貴命 説 明:ご由緒書を転載します。 「當社は枚方市の北部船橋本町(旧大字船橋)北方村里に接し、杉、桧、樟、榊 等の樹林の中の社域に鎮座す。御祭神は健速須佐之男命、稲田姫命、大己貴 命三柱の神にして、社記傳ふる所に依れば仁徳天皇二十九年春の勧請にして、 用明天皇は當国を堅め給ひし矛を納めて郷の巨鎮と為し、桓武天皇は延暦十 六年十一月、大納言藤原継縄を遣はして奉幣祭祀せしめ、文徳天皇は斉衡三 年十一月復た大納言藤原良相を遣はして奉幣祭祀せしめ給ひしといふ。 二宮牛頭天王と號し、天正年中、織田信長は深く当社を尊崇し、社殿に修繕 を加え、采地を寄せたりしも、豊臣秀吉に至りて没収せられたるを、慶長八 年、豊臣秀頼は片桐東市正且元に命じて、本殿及び攝社、御旅所、別堂を造 営せしめ、且神苑を附し大阪城鬼門除の社と為して崇敬せり。 同時に従来牛頭天王と稱したりしを、改めて二宮神社と稱するに至れり。當 時の棟札今も尚存す。明治維新後、境内にありし別堂即ち地蔵堂をば浄土寺 に移し、明治五年、村社に列せられたる後、同四十一年、神饌幣帛料供進社 に指定せられたり。 本殿建築は一間社流れ造檜皮葺きの優雅なる建築物にして、一ノ宮(牧野片 埜神社)の建築に次ぎて推賞すべき本群有数のものなり。 例祭は往時より菊月九日なりしも、今は改められて十月十五日に行はれる。」 住 所:大阪府枚方市船橋本町1−707 電話番号: ひとこと:この神社とのご縁は、ある女性からのメールに起因します。 枚方市の地域コミュニティー掲示板において、この神社が話題になっている ので、何か教えて欲しい・・・というような内容のメールでした。 そこで、そのコミュニティー掲示板を訪ねると、 ・二ノ宮神社には「おかげさま」という神様がいる。 ・「おかげさま」とは自分の守護霊さまで、自分のご先祖さまのコトだと言 われているらしい。 などなど、確かに、すごい盛り上がり。 しかし、神社で守護霊様?????? 思いっきり疑問符が頭に湧いたのですが、同じ大阪でも、北河内は、片道1 時間以上かかる遠方なため、なかなか参拝できませんでした。 でも、こう思っていました。 「神職さんにお話を伺ったら、多分、全然違う話しなんだろうな・・・」 と(笑) そして、やっと参拝することができました。 鎮守の森は静かで清らか。 これは、「おかげ様」がおられると感じる人がたくさんおられてもおかしく ないな、と思うような清々しい雰囲気です。 社務所は閉まっていましたが、境内地も社殿も清められ、整えられていたの で、呼び鈴を押してみました。 すると、穏やかそうな神職さんが、対応してくださいました。 「掲示板でおかげ様のことを拝見したので、参拝した」 と告げると、少し困ったような顔をされて、 「なんだか話しが広がっちゃって・・・」 というようなことをおっしゃいました。 やっぱり(笑) 日本の神道においては、自然や自分の祖先に対する感謝はとても大事です。 「先祖に対する崇拝」 は、仏教のものだと思われがちですが、実は、神道的なものなのです。 日本の神々の多くは、実は、「○○氏の祖」という意味合いもあります。 例えば、天照大神は、皇室の祖です。 饒速日尊は物部氏の祖であることも有名です。 天児屋根命の子孫は藤原氏。 このように、古来、日本人は、「自分の祖先」を神として大切にし、拝んで きました。 二ノ宮神社では、自然発生的に、この先祖に対する崇拝が、「おかげ様」に 対する崇拝として続いてきているのだそうです。 神職さんは、 「おかげさま(ご先祖様)に真摯に祈るとき、それは、自分の血の源に祈るこ とになる。 おかげさまとの対話は、自分自身との対話に他ならないのですよ」 と、参拝者の方に説明されているのだそうです。 ですから、 「おかげさまは守護霊様」 というのは、「尾ひれのついた噂」ということなようです。 ただ、「願い事が叶う」と噂になっているのは、実際、「霊験あらたか」な のでしょうね。 神職さんは、とても雰囲気の柔らかい方でした。 ですから、神職さんとお話させていただくだけで、気持が落ち着き、前向き になり、願い事を叶えるべく実際的に努力するための素地が出来る・・・な んてこともあるのかもしれません。 実際、そのコミュニティー掲示板を見ると、決して我欲ではなく、 友人の受験の成功・・・など、他者に対する祈りのために、参拝される方が 多いようでした。 そういう「優しい気持」になれる神社なのかもしれません。 ただ、この神社で、「おかげ様」にお祈りする時、 「ご先祖様のおかげで、今の自分がある」 ということを今一度思い出されてはいかがでしょう。 きっと、ご祭神もお喜びになると思います。