祭 神:事代主命 説 明:境内案内板を転載します。 「古伝によると大国主命が天乃日槍命と国土経営を争い給いし時、伊和の地に於て最後の交渉を終られ、大事業 達成に力を合わせられた諸神々を収集えて酒を醸し、山河の清庭の地を撰び、慰労のため饗宴を為し給えり。 この地が即ち庭酒の里、現在の庭田神社奉祀の霊地なるにより、社殿を造営、その御魂を鎮祭れりと云う。 然るに当社安永縁起に成務天皇の御代に神託に依り、新に神殿を建てて広く崇敬せらる延喜式の制小社に列し、 江戸時代寛文十一年社殿改造、元禄十五年本殿屋根替、享保八年本殿屋根替、元文三年拝殿屋根替、中略、明 治四年本殿棟上再建、昭和四十三年五月幣殿改築、昭和四十九年十月拝殿改築、現在に至る」 ぬくゐの泉前にあった案内板を転載します。 「庭田神社のぬくゐの泉と造酒 庭田神社は、平安時代の延長五年(927)に成立した『延喜式』神名帳の宍粟郡七座のうちに数えられる古社で、 古代・中世には播磨国一宮伊和神社と深い繋がりがありました。現在、神社の背後に玉垣をめぐらした清らか な湧き水『ぬくゐの泉』がありますが、かつて庭田神社の氏子には、宵宮祭の当日早朝に、いえいえで醸した 白酒を神前に供え、五穀豊穣を祈る風習があったそうです。和銅六年(713)五月に編纂の命令が下り、平成27 年に編纂完了から一千三百年を迎える『播磨国風土記』には、造酒に関わるおもしろい伝承が多く記載されて います。 なかでも宍禾郡比治里庭音村の条には、次のとおり記されています。 『庭音村。〔本の名は庭酒(にさき)なり。〕大神の御粮枯れて糆生ちき。即ち、酒を醸ましめて庭酒を献りて 宴しき。故、庭酒の村と曰ふ。今の人、庭音村と云ふ。(『播磨国風土記』山川出版社) 〔大神の粮(ほしいい)に糆が生えたので、酒を醸造し、神酒として大神に奉ったので、庭酒の村といったが、 酒の村といったが、今の人は庭音の村という。(現代語訳)〕』 また、郡末の伊和村条には、次のとおり記されています。 『伊和村。〔本の名は神酒なり。〕大神、酒を此の村に醸みたまひき。故、神酒村と曰ふ。又、於和村と云う。 大神、国作訖へたまひて以後に云ひたまひしく、『おわ。我がみきに等しといひたまひき。(『播磨国風土記』 山川出版社) 〔大神がこの村で醸造したので神酒の村という。一説に於和村というが、それは(伊和)大神が国づくりを終え られ、『国づくりは終わった。私の神酒と同じくらいよくできた』とおっしゃった(現代語訳)〕』 というようなお話です。 これらの由緒をもって、平成二十五年に宍粟市は、日本酒による『乾杯』の習慣を広めることで市の歴史と伝 統・文化を後世に継承し、地域の振興及び発展に寄与していくことを目的として、『日本酒発祥の地・宍粟市 日本酒文化の普及の促進に関する条例』を制定しました。 平成二十六年三月」 住 所:兵庫県宍粟市一宮町能倉1286 電話番号: ひとこと:ちょっと口惜しいんですが、播磨国風土記が知られるようになったのはつい最近のようで、私が持っている、 平凡社ライブラリーの『風土記』には載ってないんですね。 後に出た角川ソフィア文庫のには載ってるらしい。 くそぅ、買わないといかんじゃないか。 なんにせよ、このぬくゐの泉の水が酒造りに使われていたということだけは、わかりました。 伊和大神と大国主、天日槍の関係が、ゴッチャゴチャすぎてよくわかりません(^^ゞ