祭 神:豐磐間門命 櫛磐間戸命 説 明:境内案内板を転載します。 「新宮神社 由来 本社は旧名張街道 岩ノ山の頂上に祀られりと云う、今其の由来を繹するに春日 神社の一神武甕槌命を常陸の鹿島より大和奈良に遷座の時此の街道を通過せられ しに笠間峠にかかるや否や一天にわかにかき曇り やがて西方より大風雨となり 一歩も進むことは能わず途方に暮れたるに幸いにも其の北方に小さき庵あり依っ て一行頻りに救いを求む 白髪の翁来たり其の神霊を奉迎し庵に導きたるに風雨 静まりしも日は既に黄昏なれは随員等神霊を庵の高所に安置し徹宵護衛し寄るの 明くるを待ちたり 翌朝に至れば一天快晴是れにおいて翁に謝して出発せり 然 るに翁其の跡を検するに神鏡一面床壁に懸れり大いに畏怖し直ちに笠間山の頂上 にほこらを造り奉祀し新宮神社と称へたりと云う。 爾来久しく此の山に奉祀せしも元来此の山は頗る峻嶮にして南方は岩石挺秀嶄立 し北方亦峻嶮なるのみならず山頂甚だ狭隘なれば熟議の上今の大原に奉遷せしは 四百数十年前なりと云う。 社殿は、足利時代(六百六十年〜四百二十三年前)の建造なりというも詳細は不 明であるが建築の各所に室生時代の様式がみられる。 明治四十年字川窪 明神山に奉祀せり九頭神社 祭神 高雷龍神を合祀する。 又笠間字大原一番地の瘡神社祭神 少彦名命 大己貴命を境内に奉遷する。 例祭は十一月三日である。」 住 所:奈良県宇陀市室生上笠間48 電話番号: ひとこと:ご由緒の「室生時代」は「室町時代」の誤植でしょうか? それとも??? 笠間という地名に惹かれてこのあたりをウロウロしているとき、朱の鳥居が目に 止まりました。 川の向こうに鳥居が見えるのですが、道がない。 参拝するとしたら、かなりバックしなければなりません。 ですが、こんな場所に両部鳥居というのが気になり、ぐるりと周ることにしまし た。 鳥居の向かって左側には道がありません。 つまり、行き止まりに鎮座する神社なわけです。 しかも、鳥居の前には流れの速い川。 そして、見てください。 鳥居をくぐると、やたら急な坂です。 30度あったんじゃないでしょうか。 まるで参拝を拒否するかのような立地だと感じてしまうのは、私だけではないと 思います。 「笠間」の地名が気になるのは、「かさ」が「瘡」に通じるから。 そして春日大社に遷座中のタケミカヅチと、翁(舞)も、関連が深いように思い ます。 さらに、この神社は、大原に鎮座した「瘡神社」を合祀しているとのこと。 妄想が止まらないんですけど……。