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鞆田神社

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雨乞山




  祭  神:大日靈貴命 
       猿田彦命 多岐都比賣命 火須勢理命 應神天皇 大物主神 火産靈神 
       大山祇命 健速須佐之男神 彦屋主田心命 天忍穗根命 天穗日命 活津日子根命 
       熊野久須毘命 天津日子根命 市杵嶋比賣命 武甕槌命 天活玉神 菅原道眞
       安閑天皇 速玉之男命 宇迦能御魂命 大彦命 綾川刀女命 大田命 
  説  明:境内案内板を転載します。
      「本社の創立は天平年度と言はれており、往古より現在地に鎮座ましまして、椿朝
       日大明神と称して、大名諸侯の尊崇篤く、代々藩主が参詣された。
       又、国守藤堂公が伊賀上のに城を築くに及び、当社は恰も鬼門に当たるため、特
       に崇敬一層深く、石鳥居、鉄鋳額及び儀槍二柄を寄進せられる。
       昭和五十四年十一月二十二日、浩宮徳仁親王殿下御参拝される。
       祭祀・例祭 四月十五日
       境内社 稲荷神社(御祭神 宇迦能御魂命)」
  住  所:三重県伊賀市中友田962
  電話番号:
  ひとこと:この神社に参拝したのは、カーナビに「雨乞山」という、惹かれる地名が表示さ
       れたから。
       
      「雨乞山ってどれ?みたい!!」
       と旦那に頼み、
      「雨乞山をご神体山にしてる神社があるかも!!みたい!!!」
       と無理を言うて探してもらったんです(笑)
       
      「伊賀焼伝統産業会館」で地元の方にお話しを聞いたところ、雨乞山を祀るのは、
       鞆田神社。
       古来、鞆田神社で神祭りをし、雨乞山に籠ると雨が降ると言われたとか。
       
       鞆田神社のご祭神は、大日靈貴命。
       天照大神の別名ですから、太陽神と雨乞いの取り合わせは、なんとなく不思議な
       気もします。
       
       でも、天照大神が水の神としての性格を強く有していることは、たくさんの方が
       指摘されてるんですよね……。
       
       私が最初に「あれ?天照大神=水の女神?」と疑ったのは、神戸市にある敏馬神
       社のご由緒を見たときです。
       この神社のご由緒には、「神功皇后が三韓へ向かうとき、美奴売(みぬめ)の神
       が表れて、我が山にある木で船を作れば守護すると託宣をした」と書かれていま
       す。
       でも普通、神功皇后を守護したのは天照大神でしょう?
       
       ちなみに「美奴売」。
       つまり「みぬめ」は、折口信夫が「水の女」で、「神の神秘を紐解く神女」とし
       て名を出されてます。
       神女・遊女たちはその昔、神の神秘をどのように紐解いたのでしょう?
       
       さて。
       
       古来、人々は神にさまざまなことを祈りました。
       中でも特に、疫病封じと雨乞いは頻繁に行われていたでしょう。
       記紀神話にもはっきりと記録されていますが、疫病封じを盛んに行った天皇とい
       えば、崇神天皇ということになるでしょうね。
       墨坂神社や大坂山口神社に朱黒の楯と矛を奉納したことは印象深い記事です。
       
       対して雨乞いと言えば皇極天皇でしょう。
       蘇我蝦夷が仏僧に雨乞いをさせたが少ししか雨が降らなかった。これが7月25日。
       その後8月1日に皇極天皇が雨乞いの祈祷をすると、大雨が降ったと言います。
       これは、「仏ではだめ。日本古来の神に祈らねば」という暗喩なんでしょうか?
       それとも「蘇我ではだめ。皇極天皇の血筋のものでなければ」という意味なのか。
       もしくは、「男ではだめ。女じゃなきゃ」なのか???
       
       雨乞いと言えば、丹生川上神社ですよね。
      「人声の聞こえざる深山吉野丹生川上に我が宮柱を建てて敬祀せば、天下のために
       甘雨を降らし霖雨を止めん」
       との託宣があったのは、天武天皇白鳳4年。
       この年に起きた出来事のうち、目にとまるのは、2月13日の十市・阿閇両皇女に
       よる伊勢神宮参詣でしょうか。
       そして、8月22日の大風による家屋倒壊でしょうか。
       大風が台風ならば、丹生川上神社に祀られた神は、大雨をとめるために表れたの
       かもしれません。
       
       ただ、なんとはなしに……。
       疫病封じと雨乞いが、神に祈願する事象のうち最大の二つなのならば。
       前者は男のものであり、後者は女のものだったのではなかったか、と。
       
       そう考えたとき、気になるのは、「鞆」です。
      「鞆」は、弓を弾く際に、左手の手首内側につける革製品。
       このことによって、弓が腕を傷つけないように保護するんですね。
       形は勾玉のような形。
       
      「鞆」は「ホムタ」とも読みます。
       生まれたとき、腕に鞆のような形に肉が浮き上がっていた男の子は、「大鞆和気
       命」と呼ばれます。
       のちの応神天皇ですよね。
       母である神功皇后のお腹の中で、三韓との戦に参加した、胎中天皇とも呼ばれる
       天皇です。
       
       つまり彼は、母である神功皇后との関係が非常に強い。
       神功皇后は天照大神や卑弥呼のモデルともされる女性です。
       
       つまりこの神社には、雨乞いと女神の印象がとても強く表れている気がするんで
       すよ。
       
       また、広島県の鞆の浦には、淀媛神社が鎮座していました。
       淀媛は神功皇后の妹で、姉が三韓へ向かう際、鞆の浦まで同行したのですが、何
       らかの事情でここに残ったとされています。
       
       そしてそして。
       淡島様が流れついたのは「友ケ島」。
       ここでもやはり「とも」です。
       
       なんなんだろう。
      「とも」と、悲しい女たちの関わりは?
       
       そしてね。
       
       私が気になるのは、「靱(ゆき)」との関係なんです。
       
       徒然草によれば、疫病が流行したとき、京都の五条天神と鞍馬の由義神社に靱が
       かけられたとか。
       門前に靱がかけられるのは、「この家のもの流罪」を意味します。
       つまり、疫病が流行ると、五条天神と由義神社のご祭神は流罪となったわけです
       ね。
       それは、
      「あなた方がしっかりしてないから疫病が流行するのです。しっかりしなかった罰
       として、島に流します」
       という意味なのか?
       
       それとも、この神々は追儺の鬼や、流し雛と同じで、彼らに疫病をつけて流すこ
       とにより、都を安泰にしようというのか?
       
       どちらかはわかりません。
       しかし、どちらの神社も、ご祭神は、大己貴と少彦名です。
       
       そしてもし、「雨が降らない場合、ある神社の前に鞆をかけた」という話があっ
       たのなら?
       それはもちろん、女神の坐します神社にでしょう。
       
       そしてその女神とは……。
       
       なんてね。
       妄想してしまったわけですよ。
       
       ただ、この雨乞山を望む、拓けた土地があり、石碑が置かれていました。
       その石碑には、「市杵島姫神社跡地」とありました。
       市杵島姫は、鞆田神社にも合祀されてますね。
       
       島を斎祀る姫が雨乞いの山を望む地に鎮座しているというのならば、非常にしっ
       くりきませんか?
       
       市杵島姫は、天照大神と素戔嗚命の誓約の際、生まれた女神です。

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