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倭白山比咩神社

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  祭  神:菊理比賣命 大日霎貴命 火産靈命 
  説  明:案内板から引用します。
      「三重県指定有形文化財(建造物)
        所有者 白山比咩神社 時代 江戸時代
       白山比咩神社 本殿 1棟
              八幡社・須賀社 1棟
              祖霊社 1棟
              附 周囲石柵
               昭和32年3月29日指定(本殿)
               平成11年3月17日追加指定
       現在の白山比咩神社本殿は、棟木の銘文から元和八(1622)年に再建されたことがわかります。八幡社・須賀社、
       祖霊社も17世紀後半に遡るものと考えられており、江戸時代前期の本殿建築が3棟並んでいる点も貴重な景観とし
       て評価されています。
       構造はいずれも一間社、隅木入春日造と呼ばれるもので、当地方を代表する春日造本殿のひとつです。
       
       津市指定有形文化財(建造物)
        所有者 白山比咩神社 時代 江戸時代
       白山比咩神社 十二社 1棟
       三間社見世棚造で、桁行8.2mの江戸時期に遡る社殿です。伊勢神宮や熱田神宮ほか12社を祭っていることからこ
       の名があります。遠隔地の神社の参拝が困難な時代に、各地の様々な神社を集めて参拝できるようにしたもので、
       当時の信仰の在り方を知る上で興味深い建築物です」
       歴史がわかる案内がなかったので、平成祭データからも引用します。
      「勢陽雑記及び成願寺文書によれば、天文二十二年正月十四日若宮八幡宮の社僧 円珍上人の佛弟子である円乗坊
       というものが、夢に白山大権現が現れて、加州の社殿は近く焼失の禍があるから、天照大神の鎮座まします伊勢
       の地に移りたいとの信託を受け、同年三月上旬 加賀白山に参籠して祈願を込めていたところ、満七日の夜、神
       のお告げがあり、未明に至って見れば、円乗坊の笈の御幣が七本あったので、円乗坊は喜び勇み之を奉じて帰国、
       途中家城の瀬戸ケ淵で暫く休憩すべく笈を岩上に置いたところ、其の笈が俄かに揺れ動いて笈の中から7羽の白
       鳥が出て飛び去ったのである。そこで飛んで行った所に夫々神社を創建したと云うのである。それは小倭、竹原、
       飯福田、山田野、八対野、川口、家城の七ヶ所で、円乗坊と言うのは家城村の家木与左衛門の男、鎭徳上人の事
       である。
       右七ヶ村の白山比咩神社は之を七白山と称し地方の崇敬は何れも篤かったが、殊にこの小倭の白山は惣社白山と
       称し、また七郷の宮とも称し、氏子は南出、中の村、佐田、上の村、垣内(旧倭村)、稲垣、古市(旧八ツ山村)、
       谷杣(旧榊原村)、岡、二本木、三ヶ野(旧大三村)の十一大字に及んでいて、境内林は凡そ九百坪である」
  住  所:三重県津市白山町南出851
  電話番号:
  ひとこと:川口白山比咩神社、飯福田、山田野白山比咩神社、竹原神社、八ツ山神社、家城神社と当社で七白山比咩神社と
       呼ばれているようです。
       
       飯福田は離れているのと、跡しか残っていないとのことなので参拝していませんが、それ以外六社のうち、ここ
       倭か、川口がことに立派な社殿でした。
       
       平成祭データには、他の白山比咩神社の説明にない一つの情報があります。
       菊理姫は、「天照大神の鎮座する伊勢の地に遷りたい」と、この地へいらっしゃったとのこと。
       伊勢からはちょ~っと離れてるけど……。
       これくらいの距離感がいいのかしらね。

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