祭 神:大己貴命 少彦名命 説 明:案内板を引用します。 「祭神は、道後温泉を開いた大己貴命と少彦名命の二神である。 当社は、延喜式内社で、社伝によれば、景行天皇が皇后八坂入姫と共に行幸の際に鶯谷の大禅寺の前に 創建したと伝えられている。その後舒明天皇行幸に際し、勅命により社殿を新築した。 その後、国司、領主の尊崇を受け、神田や幣帛の奉献があったと伝えられている。 大永七(1527)年の地震で温泉が埋没した際に、須佐之男命と稲田姫命を祀る延喜式内社出雲崗神 社境内(現在の冠山)に遷され、いつしか合祀して四社大明神と呼ばれるようになったという。 湯神社では、地震などで温泉が止まるたびに、神楽を奉納して祈願してきた。宝永四(1707)年の 地震では藩主の名で『湯祈祷』が行われ、以後中断しつつも今日まで続けられており、正月の初子の神 事とともに世に知られている」 住 所:愛媛県松山市道後湯之町4-10 電話番号: ひとこと:道後温泉は伊予国風土記逸文に登場することで知られます。 「伊予の国の風土記にいう。 湯の郡。 大穴持命は、見て後悔して恥じて、宿奈毘古奈を活したいと思い、大分の速見の湯を下樋によって持っ て来て宿奈毘古奈命に浴びさせたので、しばらくして生きかえって起きあがられて、いとものんびりと 長大息して、『ほんのちょっと寝たわい』といって四股を踏んだが、その踏んだ足跡のところは、今な お温泉の中の石に残っている」 その石は今「玉石」と呼ばれ、道後温泉本館の入り口横に置かれています。 残念ながら、工事中の幕中にあり、幕ごしに見ることしかできなかったので、足跡までは確認できなか ったんですけど。 それにしても、宿奈毘沙古奈はなぜ死んだのか。 見て後悔して恥じて……というと、伊邪那岐が黄泉を訪問した際、「絶対私を見ないでください」と伊 邪那美に懇願されたにも関わらず見てしまったというエピソードを思い出しますが、書かれていないの で、わからない。 ただ、ここ道後温泉は、大分の速見温泉の湯を引いたとされていることははっきりわかります。 速見郡を調べると、確かに温泉はあるんだけど、温泉街じゃないんだよな~……。 往古は有名な温泉だったのかもしれません。