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嶽山弁財天神社

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嶽山弁財天

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祓川弁財天

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湯屋谷弁財天

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圓山弁財天

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尾先弁財天

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綱引弁財天

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首途弁財天




  祭  神:弁財天
  説  明:高野山七弁財天の一つです。
       七弁財天は、嶽山弁財天、祓川弁財天、湯屋谷弁財天、圓山弁財天、尾先弁財天、綱
       引弁財天、首途弁財天の七祠。
       弘法大師が高野山開山の折、水の湧き出る場所七つに弁財天を勧請したのだと伝わっ
       ているようです。
       それぞれの場所について、詳細は不明ですが、嶽山弁財天だけ説明があります。
      「嶽山弁財天祠
      『紀伊続風土記』によれば、弘法大師が大和の天河弁財天に千日参籠したときに用いた
       宝珠をこの峰に埋め、弁財天を勧請したといい、嶽山の古樹木一本杉に住む妙音坊と
       いう天狗が常にこの祠を守護すると伝える」
      「綱引弁財天由緒
       この神社にお祀り申し上げておりますのは綱引弁財天と申し、弘法大師高野山さん御
       開創の時、その繁栄を祈って山内七ヶ所に祀られた弁財天の一つであります。
       各々水源の位置に当ると云われ、水に由来した綱引(又は船引)と名づけられたと云
       われております。これを祈れば福徳と智恵を得る霊験あらたかな神様であります」
  住  所:和歌山県伊都郡高野町弁天岳山頂
  電話番号:
  ひとこと:高野山大門のすぐ左手に、「嶽弁天神社」という額のかかっ
       た鳥居があります。
       何も知らない私は、「ちょっと参拝してくるね」と旦那に言
       い残し、軽い気持ちで、鳥居をくぐったのです。

       この季節、紫陽花がとてもきれいです。
       この日は、金髪碧眼の誰かが高野に入山したのか、雨と雷が
       あり(高野山は、金髪碧眼の人が入山すると雨が降るという
       伝説があります)、花の色を一層引き立てています。

       さて、10分ほど歩きましたが、社は見えてきません。
       なんとなく、一人歩きがやばそうな雰囲気になってきます。
       
       しかし、まぁ、あんまり遅けりゃ、旦那が見つけに(or助け
       に)来てくれるだろう(この時、助けにきてくれた時には腕
       の一本も喰われてるんじゃないかという可能性を、毛一筋分
       も感じなかったというのは、信仰の賜物!ということにしと
       いてください)と、気楽に登っていたのですが、それにして
       も、遠い。

       ここまで来たら、戻れないぞ〜〜〜・・・と登る足元はずる
       ずる滑るんですよね・・・。登りは良くても、下りは、さぞ
       かし滑ることだろうなという予想はつくんですが、帰ろうと
       いう気になれないのは、なぜでしょう?

       何時の間にか、紫陽花もとぎれました。なんか山頂が見えて
       きました・・・。え〜〜い、毒食らわば皿までよ(??)と
       登って登って・・・。

       社は、綺麗に整備されていました。周りに草も生えていませ
       ん。毎日この道のりを整備しに来られる方がいらっしゃるの
       でしょうか?

       いえ、もちろんそうなのかも知れませんが、「神の坐」とい
       うのは、こういうものなのだと何故か、納得してしまいまし
       た。
       神聖なのです。
       誰も、この場所で煙草を吸おうという気分になれないでしょ
       う。そういう場所なのです。

       天狗が守護しているというのも、あながち伝説だとは思えま
       せん。今までごろごろ鳴っていた雷が、いつの間にか、鎮ま
       っていました。
       別天地なのです。

       清められた気分になって下山していると、下から旦那が走っ
       て登ってきました。なんか、ちょっと慌ててます。

      「熊に会わんかったか?」
       熊??なに?熊???

       私が遅いので、気になってみると、鳥居の横に、「熊出没注
       意」という看板があったのだそうです。そうだっけ???
       本当だぁ〜〜〜!!ひぇ〜〜〜〜〜!!!!!

       この看板に気づかなかったのも、「呼ばれた」からなのかも
       知れません。

       神に「遭う」というのは、そういうことなのかも・・・。
       そんな気がしたのでした。

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