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船山神社

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  祭  神:船山神 天児屋根命 住吉大明神
  説  明:案内板を転記します
      「三里大字の安明寺と中之宮の氏神で、祭神は、船山神と天児屋根命(春日神社の
       祭神)、住吉大明神。
       当地は安明寺の氏神である春日神社の境内地で、大正四年頃に中之宮の氏神で式
       内社の船山神社(旧社地は南東200Mの東光寺東側)を合祀したものである。
       境内後方の矢田丘陵八合目付近には丸木船状の三つの巨石があり、神が乗って地
       上に下ってきた船石として信仰されてきた。この三石については『神祇資料』に
       もみえ、近世に船石付近に祀られていた船上(ふながみ・船神)神社を山麓の船
       山神社に合祀したともいう。
       磐座信仰を伝える古社であり、拝殿横には立派な陽石が旧社地から移されている。」
  住  所:奈良県生駒郡平群町三里475
  電話番号:
  ひとこと:船石は、本当に船のような姿をした巨石です。

       船山神とは、つまり、この巨石のことなのでしょうね。
       大昔の人々は、巨大な磐に神聖さを見出したのでしょう。

       船山神を信仰した人々について考証するには、私はあまりにも無知なもんで、こ
       こはちょっと趣向を変えて、世界中の「石信仰」を見てみましょう。

       まず、有名なのは、イギリスにある、ストーンヘンジでしょうか。
       簡単に言ってしまえば、「環状列石」で、どうも太陽祭祀と関係が深いらしいと
       言われていますが、他の環状列石と差別化しているのは、その大きさと、歴史の
       古さじゃないでしょうか。
       その高さは、5〜8M、製造されたのは、約4000年前だと言われています。

       人々は、その巨石の間から、夏至の太陽が昇るように設計し、特別な日の太陽を
       伏し拝んだ・・・ようです。

       つまり、この場合、石は、太陽を拝むための「装置」なわけで、石自体が、崇拝
       の対象というのではないようです。

       聖書にも「石」は何度も登場します。
      「出エジプト記」には、シナイ山でエホバがモーセに言った言葉が記されています。
       いわゆる、「十戒」などを含む言葉ですね。

       その中でエホバは、「石の祭壇を作るならば、切り石を用いないように」と注意
       しています。なぜならば、「ノミを当てると石の神聖さが汚されるから」です。

       つまり、この場合、石は、「神聖なものを斎き祭るに相応しい神聖さを持つ材料」
       なのですね。
       結局、ここでも、石は聖なるものではあれ、それ自体が信仰の対象じゃありませ
       ん。残念ながら。

       石自体を信仰した国は日本のほかにはないのか?と探すと、ありました。
       ギリシャ神話です。
       ギリシャ神話は、天地開闢の時、数多の殺戮があったとしています。

       宇宙の神であるウラノスは、自分の息子であり時の神でもあるクロノス(ローマ
       神話では、サテュロス。サターンと音が似てることから同一視されたりもします)
       に去勢された上追放されます。
       自分が父親に対してしたことに、後ろめたい気持ちを持っていたのか、それとも
       単なる人非人(いや、神ですけど)だったのか、クロノスは、自分の子供達も、
       いつか自分を追放するだろうという恐怖から、子供達を次々に呑み込んでしまう
       んですね。

       ところが、冷酷な夫の所業を恨んだ、妻・レアは、末っ子のゼウスだけは助けよ
       うと、石に産着を着せ、ゼウスと偽ります。
       九死に一生を得たゼウスはすくすくと成長し、後に父親・クロノスを倒します。

       ここらへん、クロノスの予感は当っていたと見るべきか、クロノスの死はクロノ
       ス自身の身勝手さが招いたのだと見るべきか。
      「ニワトリと卵」の論争に似たものがありますね。

       まぁ、この時代、父も子もなく、支配者の地位を奪い合ってたんでしょうから、
       クロノスが我が子を信じられなかったのも、わからないではないですけどね。

       さて、クロノスを倒したゼウスは、父のお腹の中から、先に飲み込まれていた、
       兄姉達を助け出します。その中には後に妻となるヘラや、冥界の王ハデス、豊穣
       の女神デメテルなどがいましたから、この時、ゼウスが彼らを助け出してなけれ
       ば、ギリシャは、豊かな国にはならなかったでしょう。

       そして、自分の身代わりみなってくれた石もついでに取り出し、清められ、「宇
       宙の臍(オムパロス)」として崇められたとあります。

       ・・・ただ・・・ですね。
       この「オムパロス信仰」ってのも、どうもややこしくて(^^ゞ
       このギリシャ神話を見る限り、この石に対する信仰があった、と読めるんですが、
       ローマなんかでは、宇宙の女神のパワーが満ちている場所に対する信仰があり、
       その場所をはっきりさせるための「目印」として、オムパロスを置いてある・・
       という考え方のようです。

       ちょっと考え方を変えてみると、「賢者の石」というものがありますね。
       これは、錬金術師が競って手に入れようとした石なのですが、その働きは、卑金
       属を金や銀に変える、不老長寿の妙薬を作る・・・などの、まぁ、世俗的といえ
       ることから、「悟りを開く」という、哲学者向けのものまで、幅広く、奥深く、
       あるわけです。

       しかし、この場合もこの「賢者の石」はキーではありますけども、信仰の対象と
       いえるかどうか・・・。

       びっみょ〜〜〜〜〜・・・ですね。

       ちとトンデモなことを考えてみましょう。
       アメリカを牛耳っているという噂の、「フリーメイソン」という秘密結社があり
       ます。

       フリーメイソンとは、「Free and Accepted Mason」の略称。
       自由な石工と訳されていることが多いですね。
       
       この「石工」ってのは、本当に、石の技術者という意味ではなく、何かの比喩で
       しょう。

       とすると「石」も、何かの比喩だと考えても無理はありません。

       その「石」とは?

       ここらへん意味深で、一筋縄ではいきません。

       しかし、組織員は、「石工」で、石を加工するわけですから、エホバが言うよう
       に、「ノミによって神聖さが汚される」ような、やわっちいものじゃないわけで
       す。

       人間の手によって加工され、作りなおされても、なお、神聖さを保ち続ける、強
       力なパワーを秘めた巨石・・・を思い浮かべます。

       しかし、日本の巨石信仰は、もっと素朴ですね。

       石のパワーをどうこうしようというような吝嗇な考え方は、感じられません。
       ただ、石を、「畏れ敬うべき対象」として、大事にしたようです。
       それを削って力を得ようとか、そんなことは考えてなかったように思えます。
       
       そういう意味では、日本の巨石信仰は、世界的に見て、珍しいものなのじゃない
       か、と思えるんですが、どうでしょう?

       そこにある偉大なものを、自分達の力の及ばないものと認識し、感心し、尊敬し、
       畏怖し、大事にする。

       神の子とは、そういう人々のことを差すのかもなぁ、などとふっと思います。

       私は、そうはなれませんけどね、ちぇ。  

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