祭 神:井上内親王 説 明:井上内親王は、光仁天皇の皇后です。 5歳の時に伊勢の斎宮となり、28歳で白壁王(後の光仁天 皇)の妃となります。 45歳で、他戸皇子を出産し、54歳の時、夫・白壁王が、 即位し、皇后となるのです。 しかし、皇后であったのは、ほんのわずか。 2年後、巫蠱大逆(ふこだいぎゃく、巫女に天皇を呪い殺す祈 祷をさせる)の罪で、皇太子であった、他戸王と共に、大和国 宇智郡に幽閉され、この地で没しました。 最期の時、「遺言は?」と聞かれた井上内親王は、 「己の良心(こころ)に慚(は)じよ。」と答えたといいます。59 歳でした。 住 所:奈良県五條市 電話番号: ひとこと:ここ、奈良県五條市には、御霊神社が23社もあるのだそうで、 当時の人々が、井上内親王に、とても同情していたのでしょう。 一説では、井上内親王が、五條に流されてきた時、懐妊してお り、生まれた子供は、「火雷命」と呼ばれています。 後に母と兄の怨みを晴らすべく、雷神となったといわれており、 彼の出生の地を産屋峰(うぶやみね)と呼ぶそうで、岡町あた りの「荒坂」がそうであろうと言われているようです。 また、おもしろい話があります。 井上内親王は、結果としては、夫・白壁王に見捨てられたこと になる・・・という考えから、当時の宇智(五條)の人は、壁 を白く塗ることを避けたんだそうです。 それは、井上内親王の怒りを避けるためである、と現在は説明 されていますが、そうではないでしょう。 井上内親王は、5歳から28歳まで斎宮として暮らしてきた方 です。宇智に流されてきたのは、56歳とは言え、俗世からは 切り離された神々しさをお持ちだったのではないでしょうか? そんな悲運の皇后に、宇智の人達は、畏れの感情よりも、親し みと同情を覚えていたのではないでしょうか? だからこそ、この皇后を見捨てた白壁王に怒りを感じ、白壁に 塗ることを良しとしなかったのではないでしょうか? どちらにしろ、私は祟りというものを信じません。 「祟られている」と考える方が、「自分が悪いのではないか?」 と自問するより楽だと感じる人が勝手に「祟られる」のでしょ う。 井上内親王と他戸王を陥れたのは、藤原百川であるといわれて います。 菅原道真公を陥れたのは、藤原時平ですね。 罪なき人を陥れた藤原氏は、よほど雷を恐れたと見える。 井上内親王と他戸王の怨みを晴らすべく生まれてきた皇子に、 「火雷命」という名前がついているのは、偶然ではないかも知れ ないですね。