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祭 神:埴安神 波牟埴安姫 説 明:境内看板の案内を転記します。 この案内については、「鎮守さんの記録」さんが補足してくださ いました。 (私はまたまた撮影に失敗したのです(^^ゞ) 「平安時代に入った延長五年(927)に、上進された法令「延喜 式(醍醐天皇の勅令により藤原忠平らが編集、宮中の儀式・作法・ 制度などをかいたもので、後の律令政治の基本法となったもので す)神名帳」には全国二千八百六十一社が記載されています。 東大阪市内では、波牟許曽神社、彌刀神社のほかに、枚岡神社な ど十六社が記載されています。 諸本には共にハムコソと読んでいる。 伴信友(神名帳考証)に蛇草と書イテ今イカニ唱ふにかシラネド 波牟久佐(ハムクサ)トカ、波美久佐トカ唱ふべき也、云々と考 証して、「河内誌」に記載す。所在地についても地名から社名が できたと説明している。これに対して、神社を「許曽」とかいふ のは、延喜式に「下照比売社一座」、日本書紀に、「社戸臣大口」 続日本紀に「社吉志酒人」、また国光大師伝に、「美作国稲岡ノ 北ノ栃社(とちこそ)」などとある事例によっても明らかである。 波牟は蛇にして、許曽は社の義なり、蛇を祭れる者にや。 村名はこれ社名より起こると述べている。 この宮については古代よりこの地の宮の関係は、その昔、物部の 氏人の村であり、蛇草と云う地名の起源はこの宮の名より起こっ たものと伝えられる。 「神社要録」には北蛇草村神明とあり、河内明記には大社天神とも 伝え、「神明考証」には大社神社と呼んでいた。 御祭神は埴安神(はにやすのかみ)、波牟埴安姫(はむはにやす のひめ)なりと記されています。 一説には、蛇を祀れるものかとも伝えられる」 住 所:大阪府東大阪市長瀬町1丁目10-9 電話番号: ひとこと:えぇっと、文章がちょっと難解・・・というか、てにをはがよく わからないというか、纏まってないというか、で、意味がよく通 らない部分もあるのですが(人のことは言えませんが)、「波牟 許曽」が「蛇草」である・・・はいいとして、「物部の村であっ たから、蛇草の地名はこの宮の名前からきている」って部分が、 ひっかかります。 つまり、「蛇を祀っていたのは、物部氏だった」と? というより、この文脈は、「蛇を祀るのは、物部氏の専売特許だ った」とも読めますね。 それはさておき、 蛇神様といわれてすぐ思いつくのは、大神神社のご祭神でしょう。 記紀にも「三輪山と蛇」の関係は、重複してでてきます。 この三輪山の蛇は、美女に思いを懸け、子供を産ませています。 昔話にでてくる蛇は、なぜか好色なのです。 「そりゃぁ、フロイトによれば、蛇は男性器の象徴だからさぁ」 ん~~にゃ!それだけとは思えません。 なぜというに、好色蛇は、男性として描かれるだけでなく、女性 としても描かれているからです。 まず、男性(おとこせい)の好色蛇の話としては、今昔物語や、 日本霊異記に出てくる、「桑の木に登っている処女と交接した蛇」 が有名ではないでしょうか。 桑の木に登っている処女ってのが、いかにも意味深で、単に、好 色なのだ、とも言えない気もしますがね。 その他にも、女性が小用を足しているのを覗いた蛇の話もでてき て、まぁ、不気味といえば不気味ですが、かわいいもんだといえ ば、かわいいもんだと言えないこともない。 それが、「男性の蛇」なわけです。 と~こ~ろ~が~~、女性の蛇は、かなり、執念深い。 こちらで有名なのは、「雨月」の中の一編「蛇精の淫」にでてく る美女蛇でしょうか。 恋した男・豊雄が他の女と結婚するや、女にとり憑いてしまう、 執念深さ。 いや、男は体を交えるまでの方が、より女に執着するけれども、 女は、その後に、執着心が深くなる・・・ということなのかもし れないけれども、とにかく、何があっても、男から離れようとし ないのが、女性の蛇。 蛇というのは、何か、強い印象を人間に与えるようです。 その蛇を祀る人々が、古代、物部氏だけであった、とは思いませ ん。 ただ、そのように印象の強い蛇だからこそ、その蛇を祀る資格と いうものはあったかもしれない。 とも思います。 力のない氏族に蛇神様を任せておけない・・・なんてね。 波牟許曽神社のあるこの場所に、古代住み着いていたのは、どん な力のある人々だったのでしょうね。