祭 神:下照比賣命(阿加流比売神) 説 明:当神社は人皇第十一代垂仁天皇の御代(今より約二千年前)、 愛久目山(今の天王寺 区小橋町一帯の高台)に下照比賣命 を祀って高津天神と呼ばれたのが起源であると伝 えられま す。 下照比賣命は、大国主命と、多紀理姫命の娘。 天稚彦の妻です。 また、古事記には、「新羅の阿具沼のほとりで昼寝をしてい た女に『日の輝虹の如く、その陰上を指し』、女は妊娠して 赤玉を生んだ。この赤玉は女となって新羅の王子天之日矛の 妻となるが、ある日『吾が祖の国に行かむ』といって、小舟 に乗って難波に来た。 『こは難波の比売碁曽の社に坐す阿加流比売神と謂う』」とあ ります。 また、日本書紀・垂仁天皇紀の加羅の王子都怒我阿羅斯等の 伝承には、白石が童女となり、阿羅斯等はこの童女と結婚し ようとしたが、 「求ぐ所の童女は、難波に詣りて、比売語曽社の神となる。 または豊国の国前郡に至りて、また比売語曽社の神となりぬ。 並に二処に祭ひまつられたまふといふ」とあります。 住 所:大阪市東成区東小橋3丁目8−14 電話番号:06−6981−0203 ひとこと:下照比賣は、新羅からやってきた女神であろう、と、言う 説があります。 つまり、新羅の、ソシモリに行った素盞鳴尊が、一端出雲 へやってくる・・・という神話は、新羅人・素盞鳴尊が、 出雲に渡来し、娘・多紀理姫を大国主命と結婚させて、生 まれた御子が、下照比賣であるという説です。 そこで、新羅からやってきた、阿加流比売神と混同された のかも知れません。 実際のところがどうであるかはわかりませんが、「比売許 曾神社」の「許曾(こそ)」は、朝鮮語では、「社(やし ろ)」を意味する言葉なのだそうです。 さて、下照比賣は、出雲の王を父に持ち、天照大神の使者 を夫にしています。 夫・天稚彦は、なぜ、下照比賣を妻にしたのでしょうか? 神話では、出雲の国を我が物にしようとした為だとなって います。 でも、そうではなく、出雲の国譲りの交渉にやってきたの だけれど、下照比賣のあまりの美しさに、交渉を忘れて、 恋をしてしまい、結婚してしまったのかも知れません。 下照比賣と結婚してしまったら、国譲りどころの話では、 ありませんから。 下照比賣の容貌がどうであったか、はっきりとは描かれて いません。 ただ、私が参拝した時、下照比賣の御遣いが、私をじっと 見ていました。 きっと、下照比賣は、絶世の美女だったのだと思います。