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櫟谷宗像神社

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  祭  神:中津島姫命(市杵島姫命) 奥津島姫命
  説  明:栞によりますと、
      「小さな社とはいえ、境内に佇めば山紫水明・風光明媚とはここ
       をおいて他にないといえるほどの絶景の地です。
       昔はそれぞれに独立した社殿をもち、櫟谷神社は『延喜式』神
       名帳に『松尾末社』と注を付されて載る由緒ある式内社であり、
       宗像神社は『三大実録』に記載される国史現在社です。
       もともと櫟谷とは、江戸初期頃までの地名であったといい、す
       ぐ西側の小川の流れる急傾斜の谷に由来するといわれています。
       珍しい『鏡石』というものがあったのも、この谷であると伝え、
       鎌倉時代に崩落して今は跡形もありませんが、神社にとって格
       別神聖なものであったようです。
       市杵島姫命は、七福神の弁財天(弁天さん)と習合したことか
       ら、『福徳財宝』『技芸上達』『知恵』の神として信仰されて
       います。古代においては葛野の鋳銭所(造幣局)に近く、宗像
       神社には新貨幣鋳銭の度に奉納されていた関係上、『財運向上』
       の神として知られています。
       ご祭神が雅で美しい『姫神』であるため、特に近年では、男女
       ともに良縁成就のご神徳にあやかろうと圧倒的な人気を誇って
       います。
      『恋愛成就と良縁』を祈願する人々、『受験』を控えた学生、
      『財運』を願う起業家、『芸事』に精進する若人などの参拝が
       く、紅葉の頃には狭い境内にも関わらず社頭の鈴の音の止むこ
       とのないほど賑わいます。

       両姫神は海神(水神)でもあり、古来、『治水』『水上安全』
       の神としても崇められてきました。
       奥津島姫命と市杵島姫命の二神は、日本書紀の一書によると異
       名同じ神とも言えます。
       字音では、櫟谷・宗像の両神社と、渡月橋を挟んだ対岸の大井
       神社を合わせて宗像三女神がすべて揃うと伝えられ、両橋詰め
       附近に鎮座する橋の守り神となっています。
       丹波に流れ込む川はたくさんありますが、丹波盆地のすべての
       水を排出させるのは、大堰川(桂川)だけです。そのために、
       洪水等の被害も多く、治水と水運安全のために神社の真横に古
       代の秦氏が堰を築きました。ご祭神が堰の守り、水の守りとし
       て意識されていた故でしょう。すぐ南にある法輪寺も、『法』
       が『水(さんずい)を去る』と書くことから、やはり治水の意
       味をこめて葛井寺より名を変えたと言われています。
      (平安時代に法輪寺と名を変えて)初代住職となった高僧・道昌
       も、江戸時代初頭に大堰川を改修して名を馳せた角倉了以も秦
       氏の出身。櫟谷宗像神社の二柱の女神は、その両社を代々奉仕
       してきた秦うじとその一族とともに、清冽な『川』、偉大な
      『堰』、優美な橋に深く関わってきたのです。
       古来より嵐山の雅を愛で、渡月橋に憩う人々が、小さい社なが
       ら必ず詣でたといわれるのもご理解いただけるかと存じます。」
       とあります。
  住  所:京都市西京区嵐山中尾下町61
  電話番号:
  ひとこと:いわゆる、宗像三女神とは、素戔鳴尊が、「高天原で悪さをし
       ません」と、姉である天照大神と誓約をした時に生んだ女神で、
       日本書紀本文では、「田心姫・湍津姫・市杵嶋姫」
       一書(第一)では、「興津嶋姫・湍津姫・田心姫」
       一書(第二)では、「市杵嶋姫・湍津姫・田心姫」
       一書(第三)では、「興津嶋姫(又の名を市杵嶋姫)・湍津姫・
       田霧姫」
       古事記では、「多紀理比売(奥津島比売)・市杵島比売(狭依
       比売)・多岐都比売」
       となっていて、かなりごちゃごちゃですね。

      「おきつしまひめ」という別名を持つのは、ここで見る限り、市
       杵島姫と、多紀理姫ですね。

       とすると、この神社のご祭神は、「たぎつ姫」以外の二女神を
       祀っているか、もしくは、「いちきしま(さより・おきつしま)
       姫」一柱をお祀りしているか、ということになるのですが、民
       間信仰では、この神社に二柱、橋向こうの大井神社に一柱(大
       井神社のご祭神は、現在は、宇賀霊神・大綾津日神・大直日神・
       神直日神の4柱となっていて、姫神はおわさないようです)、
       お祀りされているとされているようですね。

       美しい土地柄であるところから、「美女神様」であるとされ、
       川の美しい場所柄であるところから、「水神様」であるとされ、
       任期のある嵐山という立地から、「人気ある女神」とされた。
       なぁんて背景もあるのかも知れません。

       なにしろ、市杵島姫こと弁天様は、人気が高いもんですから。

       さて、この大堰川、流れ流れて、桂川になります。
       この桂川、続日本紀には、「葛川」となっているようです。
       桂「かつら」と葛「かづら」、似ていますが、少し違いますね。

       桂は樹木ですね。
       葛は草です。

       でも、それが一緒くたになった時期があるとしたら。

       山城国風土記逸文に、
      「月読尊が桂に依って立ったから、この里を桂という」という一
       文があります。

       この「桂」が「葛」だったら・・・とふと考えます。
      「葛」=「葛城氏」=「賀茂(鴨)氏」だったら?

       月が依り立つのは、「加茂」。

       なんて。

       太陽(朝廷?)と比肩する勢いのあるものは月(賀茂)という
       暗喩だったりして。

       上賀茂神社・下鴨神社が大事にされる理由ってのもそこに、見
       えるような気も・・・するんですけれど。ね?

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