祭 神:猪田神 依那古神 建御名方命 宇迦能御魂神 小泉太郎左衛門 蛭子命 大日靈女貴命 坂戸神 應神天皇 仁徳天皇 大物主命 市杵島比賣命 大山咋命 建速須佐之男命 天児屋根命 綾門日女命 猿田彦命 菅原道真 大山祇神 木花佐久夜比賣命 伊弉册命 火之迦具土神 速玉男命 事解男命 倭姫命 底土命 赤土命 磐土命 神功皇后 説 明:境内案内によりますと、 「当社は、この地方に深い縁由のある神霊を奉祀し、往古より 延喜式内社として尊重されて来た。 明治四十一年一村一社の合祀令により旧依那古村に鎮座する 神々を当神社に合祀した。 御祭神は、猪田神、住吉三神(底土命、赤土命、磐土命)他、 二十五柱である。 主神猪田神は、十一代垂仁天皇の皇子・意知別命三世の孫で 十三代成務天皇(西暦131年)の御代に伊賀の国造に任ぜ られた武伊賀都別命である。 住吉の神は、延暦三年(西暦784年)白鷺を使者として、 摂州住吉大社から勧請した。 社地は、伊賀の郡家が所在した郡の西方神奈備の丘にあり、 時の支配者伊賀臣が祖と仰ぐ武伊賀都別命を守護神として祀 った。 神社の起源は詳らかではないが、社殿の創建は、『天正十五 年の棟札』によると、延暦三年である。 当時の本殿は、天正九年(西暦1581年)伊賀の乱で焼失 し、その後猪田山出の小天狗清蔵が再建を図り、慶長九年 (西暦1604年)に完成した。 現在の本殿は、桃山時代の粋を集めた華麗な建造物として、 昭和三十七年二月十四日『三重県重要文化財』の指定を受け た」 とあります。 住 所:三重県上野市下郡宮尻 電話番号:0595−37−0111 ひとこと:案内にはこう記載されていますが、頂いた資料の内容も少し 抜粋しましょう。 「猪川明神の垂迹として井田を猪田と改めたとも伝えられ、降 臨石とされる『満珠石』が、雨石さんと親しまれ、社前の矢 田川に一ノ井堰があったことなどから、水分神としても尊崇 された。」 「社伝によれば、延暦三年、白鷺が空中を翔けり、白羽の矢を くわえて松の木の上に止まる時に、その矢が光を放って今の 社地に止まった。 その矢を見れば、住吉神と銘してあった。それによりしてこ の地にこの神を祀り、古山・沖・市部・依那具・猪田・郡等 の十七郷がともに祭祀に預かる。その鷺の止まった所を鷺の 森という、とある。」 「また、かつて猪ノ大明神と称する社が猪川という所の福田の あたりにあったが、洪水で社頭の地が流れて川となったため、 猪神を猪田社郡宮の相殿に鎮座。昔は郷の名を井田と書き、 猪の明神垂迹より猪田と改めた。猪の神はけだし瀬織津姫な りとも伝える。」 いろんな伝承があるようですが、「水」に深い関係がある神 社であることがわかります。 また、住吉三神・上筒男命・中筒男命・底筒男命を、磐土命・ 赤土命・底土命としているのも、珍しい。 勿論、日本書紀一書(第十)では、伊弉諾尊が、黄泉国から 帰ってきて、橘の小門で禊をされた時、産まれたのは、磐土 命・大直日神・底土命・大綾津日神・赤土命・そして諸々の 神(このうち、「命」は、水中で、「神」は、水の外で生ま れています。)となっていますから、おかしなことではあり ません。 (ついでに言えば、このくだりの少し前には、菊理媛が登場し ています。) しかし、住吉三神、として、猪田神社からこの三神を勧請し た神社では、「表筒男命・中筒男命・底筒男命」として、こ の三神を祀っているそうで、なぜ、猪田神社だけが、この少 し珍しい、「磐土命・赤土命・底土命」を祀っているのか、 少し不思議なのだそうです。 ちなみに、私が知っている限り、この三神を祀る神社は、高 知にある、石土神社があります。 しかし、29柱もの神々の名を見ていますと、ふと目がとま ってしまうお名前もあります。 「小泉太郎左衛門」。 誰??(^^ゞ またちょっと興味深い名前もあります。 「綾門日女命」 この姫は、出雲国風土記に登場する姫なんです。 神魂の娘・綾門日女となっていて、大穴持命が求婚した姫と して登場します。 その部分を抜粋しましょう。 「天の下をお造りなされた大神の命は、神魂命の御子の綾門日 女に求婚なされたが、そのとき綾門日女命は承諾せずに逃げ て隠れなされた。この時大神が(探しまわって)伺い求めら れたのがすなわちこの郷なのである。だから宇賀という」 神魂命というのがどういう神様なのかは、はっきりしません が、出雲の有力な神様であったのでしょうね。 さて、大神命から逃げた、綾門日女命。 大神のどこがやだったんでしょう?? と、解説を読んでいたら、「花嫁の呪的逃走」という言葉に ぶち当ってしまいました。 なんじゃそりゃ? どうもこの言葉は、私が所持している「風土記」の訳者であ る、吉野裕氏の作った言葉なのか、なかなか他に見当たりま せん。 が、折口信夫氏が、婚姻の夜に花嫁が逃走し、隠れることに ついて言及されているようです。 詳しくは、ここ。 つまり、男性の手の届かないところにどれだけ長時間、身を 護ることができるか、で、花嫁の巫女性を占うということで しょうか。 綾門姫は、大神をしてかなり「探させた」ようですから、巫 女の資質のある姫だったのかも知れませんね。