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生田神社

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  祭  神:稚日女尊
  説  明:栞によりますと、
      「御祭神
       生田神社の御祭神は御名を稚日女尊と申し上げますが、大神の
       御名は遠く神代の昔に顕れてゐます。即ち日本書紀に記された
       伝には、
       稚日女尊が、清浄なる機殿で神服を織って居られた所、素盞鳴
       尊を見られ、逆剥の斑駒を殿内に投げ込まれた為、稚日女尊は
       大いに愕き給ひ神退りました旨見えてゐます。
       これに続いて史書の上に稚日女尊の現れましますのは、神功皇
       后外征の時のことであります。
       新羅を征せられた翌年春皇后は群臣を率ゐて長門の豊浦宮に移
       りまし、ここでさきに九州で崩ぜられた仲哀天皇の喪を発せら
       れ、海路大和の都へ向はれた時(中略)恰度今の沖合にて皇后
       の御船が海中に廻旋して進むことができませんでしたので務古
       の水門(後の武庫即ち兵庫港一帯)に還りまして之を卜はれた
       所、天照大神、誨へられるやう、我が荒魂は皇后の近くに居る
       べきではない。御心広田国に居ろう、と。そこで葉山媛といふ
       人をして、之を広田の地に祭らしめられた。また稚日女尊誨へ
       られるやう、吾は活田長峡国に居ろうと思ふ、と。因って海上
       五十狭茅といふ人に命じて之を活田即ち今の生田の地に祭らし
       められました。(日本書紀)これが本社の起こりであります
       扨て稚日女尊の御名義はと申しますと、稚く瑞々しい日神たる
       御女神様と言ふ意味の御名義であります。
       生業守護の御神徳
       次のその御神徳を申しますと、前にも記したやうに、稚日女尊
       は、神代の昔、忌機殿で御親ら機をお織り遊ばされたのであり
       ますが、之によっても如何に深く蒼生の生業に御心を御注ぎに
       なられたかといふことが拝察せられまして誠に畏い極みでござ
       います。斯くて又風伯雨師を御主宰になって五穀豊穣にお導き
       になり、庶民の生活の安楽になる様、家庭生活をお守りくださ
       る御神徳は実に宏大なものと申すべく、之に関しては後に述べ
       るが如き歴代天皇の奉幣祈願に依っても拝察できるのでありま
       す。
       健康長寿の御神徳
       斯く大神は神代以来庶民の生業、生活の途を護り給ひ、又皇后
       の玉体を守り給ひしが如く、或いは武内宿禰の信仰格別に篤か
       りきと伝へる如く健康長寿の守護神として普く古今の崇敬を集
       め給ひ、同様に又家運繁昌。円満和楽の御神徳を仰ぎ奉らんと
       して神前結婚の式典を執行する向の弥々多いことも故あること
       であります。即ち、近時、日に依っては三十組に近く、毎年八
       百組に上る新家庭縁結びの神としても著名の大社であります。
       御鎮座
       稚日女尊が摂津国生田の地に御鎮まりになった由来は、前項御
       祭神の条で述べた通り、紀元八百六十一年(西暦201年)の
       ことで、平成六年より一千七百九十余年の昔であります。
       序でながら、同じく神戸市の長田神社(事代主を祭る)や西宮
       市の広田神社(天照大神の荒魂を祭る)も大阪市の住吉大社
      (表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長帯媛命を祭る)も本社と
       同時の御鎮座であるといふことだけを書き添えてをきます。
      (日本書紀)」
       など、などとあります。
  住  所:兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2−1
  電話番号:078−321−3851
  ひとこと:この神社の説明では、稚日女とは、素盞鳴尊に驚かされて、女
       陰を傷つき、亡くなった機織の女神だとしています。

       そして、神功皇后が戦の時に加護を受けた神様のうちの一柱で
       あるともしていますね。

       それが、その通りだとしたら。

       神功皇后が天照大神の大いなる加護を受けて、三韓征伐を成功
       させた、と、日本書紀には書いてあるわけですが、まぁ、天照
       大神は、わかります。
       天照大神っちゅうたら、なんちゅうても、皇祖だし、太陽の神
       だし、大元の神様ですから、この神様の力添えはあり難いでし
       ょう。
       住吉三神もわかります。
       海の向こうの国に戦争に行ったわけですから、海路の守護を願
       うのは、当然です。
       しかし、わからないのは事代主と、稚日女です。
       事代主の神はご宣託の神でもありますから、いろんな場面場面
       で、神託を仰いだのかも知れません。
       ですから、まだ、ま〜〜〜だ、わかります。
       が、なんで機織の女神の、しかも素盞鳴尊に殺されちゃった、
       稚日女??

       稚日女は、機織だけを司る女神ではなかった、という想像が、
       できませんか?

       としたら、どんな女神だったのでしょうか。
       一般的には、稚日女=天照大神の妹(or幼名)=丹生都媛とい
       う説がありますが、とりあえず、今回はこれは、置いておきま
       す。

       さて、この稚日女について整理してみましょう。
       まず、日本書紀一書(第一)の中のお話です。
       彼女は、天照大神の機屋で神衣を織っているのを見た素盞鳴尊
       は、いたずら心を起こして、まだらの駒の皮を剥いで機屋に、
       投げ入れます。
       稚日女は驚いて、機から落ち、梭で自分自身を傷つけ絶命しま
       す。
       そこで、天照大神は怒り、岩屋に閉じこもるのです。

       ただし、日本書紀の本文中では、これは天照大神自身に起きた
       こととなっています。
       ただし、天照大神は怪我をしただけですが・・・。

       天照大神は怪我だけで済みますが、稚日女は絶命しなくてはな
       りません。
       これは何故でしょうか?
       神話において、絶命するとは、どういう意味があるのでしょう?

       少なくとも、生田神社の説明によれば、神功皇后の時代、稚日
       女が登場するのですから、亡くなることが消滅することと、同
       じではないでしょう。

       とすれば、「神」としての働きのうち、「稚日女」の働きの部
       分が、一端必要ではなくなった(失われた)という意味ではな
       いでしょうか。

       稚日女の働きの部分って?

       さてお話の続きです。
       天照大神は、自分が怪我したことか、稚日女が亡くなったこと
       かに怒って、天の岩屋に閉じこもり、世界は闇に包まれます。

       そのことを考えると、稚日女の死は、「暗闇への引き金」であ
       ると取れます。

       暗闇への引き金として、一書(第二)では、こんな理由が記さ
       れています。

       いろんな素盞鳴尊の乱暴に天照大神は耐えておられた。
       が、新穀のお祭りの時、新宮のお席の下にこっそりと糞をされ
       た。日神は知らないで座に座られた。それで体中臭くなられた。
       日神は怒って岩屋に閉じこもられた。

       一書(第三)には、はっきりとした理由がかかれていませんか
       ら、暗闇への引き金は、日本書紀には三つかかれていることに
       なります。

       即ち、
       1.天照大神の怪我
       2.稚日女の死
       3.天照大神を汚したこと

       実は私は、この一書(第三)のお話、大好きなんですけどね。
       だって、物語を想像したら、微笑ましいでしょう?
       うんこまみれになって呆然としている天照大神とか、我に返っ
       て岩屋に閉じこもる天照大神とか・・・って私だけか?

       まぁ、それはよいとして、1と3は、どちらも、天照大神が、
       素盞鳴尊によって、陵辱された、とも取れる表現です。

       まぁ、陵辱されたんだか、なんだかは、日本書紀作者が書いて
       ることですから、信用を置いていいとは思いません。

       天照大神が素盞鳴尊を誘惑したのかもしんないし、単に、二人
       はデキてたのかも知れないし。

       ただ。
       それからすると、2の表現も天照大神の処女(だかなんだか)
       喪失を意味するとしたら?
       稚日女は、処女性をつかさどる神様・・・とも言えるやもしれ
       ませんねぇ。

       そうするとですね。
       なぜ神功皇后は、外国への征伐の旅に、稚日女を連れていった
       か、と言うと、「処女性を守るため」ということになっちゃう
       んですがね?
       なんじゃそりゃ?

       さて、今でも未開の地に男性が旅した場合、
       一夜の宿を受けることは、その一家の奥さんに種を差し上げる
       ことと同義である場合があります。

       その奥さんがど〜〜〜んなに、好みではなくても、宿を借りた
       限りは、いたさないといけないのです。
      
       つまり、違う種族の種、はっきり言っちゃえば精子ですね。
       は、お願いしてでも欲しいわけです。

       古代の日本は、今に劣らず島国ですから、事情は同じはず。
       わざわざ外国へ行って、処女守ってどないすんじゃい?

       と、まぁ私なんぞは思うわけです。
       ちゅうか、何人か男性に移住をお願いしてですね。
       違う血によってパワーアップする方がずっと賢いんじゃないか、
       なんて思います。

       とすると、ですね。こういう見方もできます。
       即ち、稚日女は、素盞鳴尊のいたずら心を誘発した女神である。

       なので、神功皇后の海外遠征にくっついていって、その力でも
       って、若い外国人を一杯連れて帰ってきて、ですね。
       日本に移住してもらった、と。
       そういうわけですか?

       とすると、稚日女の御神徳は、スバリ!!
       フェロモン分泌量の増大!

       私、よく男性と間違われるんですよ・・・。
       いや、姿形じゃなくて、ものの言い方がね(T_T)
       稚日女様、よろしくお願いしますm(__)m

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