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猿田彦神社

isesarutahiko




  祭  神:猿田彦大神 大田命
       境内社・佐瑠女神社:天宇受売命
  説  明:御由緒
       猿田彦大神は天孫降臨の時、天八衝に待ち迎えて、啓行(みちひら
       き)をされ、天孫を高千穂へと導かれてから、天宇受売命に送られ
       て、伊勢の五十鈴の川上に来られ、ここを中心に広く国土を開拓指
       導された地主の神で、皇大神宮がこの地に鎮座されたのは天上から
       の幽契(ちかい)によると古書に伝えられて居ります。
       垂仁天皇の御代に皇女倭姫命が神宮鎮祭の地を求めて諸国を巡歴さ
       れた時に、猿田彦大神の御裔の大田命がお迎えして、大神以来守護
       してきた五十鈴の川上の霊域を献上して、伊勢の神宮を創建申し上
       げました。大神と大田命との子孫は宇治土公といい、以来長く玉串
       大内人と云う特殊な職承に任ぜられて代々奉仕してきました。
       御神徳高い大神は、佐田大神、千勝大神、白鬚大神、導祖神、さい
       の神、庚申さま等などとして津々浦々にお祀りされますが、日本書
       紀にも伝えられている通り、大神本拠の地であり大神の末孫宇治土
       公(うじとこ)家の累代奉祀する最も特色ある本社であります。
       大神は古来物事のはじめに災害を祓い、万事最も善い方へみちびき
       給うとされ、特に地祭方除、災除、建築、移転、開業、商工業の繁
       栄、豊産、豊漁、開運のご祈祷を全国から出願されます。
       境内社 佐瑠女神社
       俳優、神楽、技芸、鎮魂の祖神と仰がれる。天宇受女命を奉祀。
       天照大御神が天岩窟に籠もられ世の中が乱れたとき、天宇受女命が
       その前で神楽をされ、そこに集まった八百万の神々が喜び笑い、天
       照大御神再び現れて平和な世になったと伝えられます。
       また天孫降臨に際して待ち迎えた猿田彦大神と最初の対面し、高千
       穂の峯に至る道を開かれ、その後本拠の地に赴かれる大神と共に伊
       勢に来られ、その項により「媛女君(さるめのきみ)」と称号を受
       けられました。
  住  所:三重県伊勢市宇治浦田二丁目
  電話番号:0596−22−2554
  ひとこと:いきなりですが、古事記を引用しましょう。
      「ここに天の宇受売の命に仰せられるには、『この御前に立ってお仕
       え申し上げた猿田彦の大神を、あらわし申し上げたあなたがお送り
       申せ。またその神のお名前はあなたが受けてお仕え申せ』と仰せら
       れました。この故に猿女の君らはその猿田彦の男神の名を継いで女
       を猿女の君というのです。その猿田彦の神は阿耶訶においでになっ
       た時に、漁をして比良夫貝に手をくい合わされて海水に溺れました。
       その海底に沈んでおられるときの名を底につく御魂と申し、海水に
       つぶつぶと泡が立つ時の名を粒立つ御魂と申し、水面に出て泡が開
       く時の名を泡咲く御魂と申します。
       宇受女の命は猿田彦の神を送ってから帰ってきて、ことごとく大小
       様々の魚どもを集めて、『お前たちは天の神の御子にお仕え申し上
       げるか、どうですか』と問う時に、魚どもは皆『お仕え申しましょ
       う』と申しました中に海鼠だけが申しませんでした。そこで宇受女
       命が海鼠に言うには、『この口は返事をしない口か』と言って小刀
       でその口を裂きました。それで今でも海鼠の口は裂けております。
       かようの次第で、御世ごとに志摩の国から魚類の貢物をたてまつる
       時に猿女の君らに下されるのです」

       日本書紀一書(第二)では、「伊勢五十鈴川まで送るように」と、
       宇受女命に言ったのは、瓊々杵ではなく、猿田彦本人だった、とな
       ってます。
       率直なプロポーズですね。

       さて、この古事記の文章を読んで、おかしなことに気づきませんか?

       瓊々杵は、宇受女命に、「猿田彦にお仕え申せ」と言っているのに、
       宇受女命は、猿田彦神を五十鈴川まで送ってから、帰ってきちゃっ
       てます。

       なぜ?
       ギョロ目の大男である、猿田彦が気にいらなかったから?
       そうかもしれませんが、どっちかっていうと、猿田彦神が溺れたと
       いう記事が気になります。
       だって、猿田彦神が助かったのかどうかまで書かれてませんからね。
       もしかしたら、猿田彦。そのまま海の底へ??

       とすれば、宇受女命は、猿田彦を助けようとせず、見殺しにしたと
       いうことに。

       実は、日本書紀一書(第二)によれば、二人の出会いはこんな風で
       した。

       天孫が降臨しようとする時、天八街で待ち受けていた、猿田彦神は、
       鼻の長さ七握、背の高さ七尺の、大男の上に、目が鬼灯(ほぉずき)
       のように大きくてらんらんと輝いていたもので、男神たちは、怖が
       って声をかけることもできませんでした。
       そこで、瓊々杵は鈿女命に言うわけです。
      「お前は眼力が優れている。お前が言って、交渉しといで」

       以下、日本書紀を引用。
      「天鈿女(うずめ)はそこで、自分の胸を露にむき出して、腰紐を臍
       の下まで押しさげ、あざ笑って向かい立った。このとき街(ちまた・
       猿田彦神のこと)が問われて言うのに、『天鈿女よ、あなたがこん
       な風にされるのは何故ですか?』と。答えていわれるのに、『天照
       大神の御子がおいでになる道に、このようにいるのは一体誰なのか、
       あえて問う』と。街の神が答えていう。『天照大神の御子が、今降
       っておいでになると聞いています。それでお迎えしてお待ちしてい
       るのです。私の名は猿田彦大神です』と。そこで天鈿女がまた尋ね
       て『お前が私より先に立って行くか、私がお前より先に立って行こ
       うか』と。答えて、『私が先に立って道を開いていきましょう』」

       見てわかるとおり、猿田彦の方が、下手に出ていますね。
       これは、鈿女命は、天孫のおつきであるのに対し、猿田彦は、ただ
       の国神であった・・・現代で言えば、鈿女命は、超一流企業社長の
       第一秘書。猿田彦神は、その下請けをする町工場の社長。
       というような関係だと思ってもらえれば分かりやすいかと。

       ですから、下手に出ているのは、わかるんだけれど、ちょっと意外
       なのは、女である鈿女が、「私が先にたとうか?あんたが先を歩く
       か?」と聞いていることですね。
       鈿女命は、よっぽど腕っぷしに自信があったのか、それとも、猿田
       彦を、蔑み切っていたのか。
       出会いに際し、あざけりの笑みを顔に浮かべていたことを考えると、
       後者の方かもしれません。

       反対に、鈿女命、天孫の言うことには、素直に従っている上に、海
       の動物にまで、天孫の威光を徹底させる献身ぶり。

       ・・・ってなことをいろいろ考えてみますとね。
       ど〜も、ですね。

       若社長、愛人の始末に困って部下に押し付けるも、愛人それをいや
       がって大騒動。

       というようなですね。
       場面を想像しちゃうんですね。下世話にも。や〜ねぇ。

       さて、話は変わりますが、この猿田彦神、上背高く、目は大きく、
       しかも鼻が長い・・・と、想像してみると、天狗さんですね。

       でもって、賣太神社の説明によりますと、宇受女命は、お多福のモ
       デルである、と。

       おかめのお相手は、ひょっとこと相場は決まってますね。

       ここでも、猿田彦。ふられてしまったようです。

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