祭 神:伊射奈美命 天兒屋根命 手力雄命 天忍熊根命 蛭子命 説 明:由緒書を転載します。 「当社は延喜式内社で、延喜式神明帳に、摂津国島下郡、伊射奈岐神社二座云々とあ り一座がこの神社であって、千里丘陵の中間で万国博会場になった地域に隣接する 高庭山に鎮座している。爾来、皇大神御霊と共に内裏に奉斎されていた豊受大御神 の御霊が崇神天皇の御宇、皇居を離れさせられ、後に丹波国与謝郡(現在福知山市) の比治真名井に遷し奉られたが人皇二十二代雄略天皇即位二十二年、皇大神の御神 誨により現在の伊勢市山田、高倉山麓の山田ケ原に遷座し奉られたとき、伊勢斎宮 皇女倭姫の御示教により、大佐々之命が、五柱の神を奉祀するべき霊地を諸国にも とめ、ついにこの山田の地に奉祀せられたと云う。 又山田と云う地名がこの様な処から山田原と称し、伊勢山田から名を移したのであ ると伝えられている。 俗に姫神社とも称し、貞観元年正月、従五位上を授けられ(三代実録、貞観元年正 月の条に『二十七日甲申京畿七道諸神進階及新叙惣二六七社云々、奉授摂津国従五 位、伊射奈岐神従五位上』)同十五年、社宮と改称されたと云う。 延喜の制に小社に列し、明治六年郷社、祈年月次新嘗の案上に預った名祠である。 俗に五社宮、姫宮とも称し山田町、千里丘、千里ニュータウンを含む産土大神であ る。」 住 所:大阪府吹田市山田東2−3−1 電話番号:06−6877−5921 ひとこと:ご由緒を読んでいるうちに、頭の中に湧き出た「?」マークの数は、なかなかの量 です(笑) まず、大佐々之命が、奉祀するべき地を求めた、「五柱の神」って? 「?」 え?姫宮の「姫」とは「伊射奈美命」のこと?それとも「豊受大御神」? 「??」 最後に、主祭神が「伊射奈美命」なのに、社名は「伊射奈岐神社」? 「???」 ?????????? 手がかりを探すべく、日本書紀を開けてみましょう。 えぇっと、雄略天皇二十二年・・・。 「二十二年春一月一日、白髪皇子を皇太子とされた。 秋七月、丹波国与謝郡の筒川の人、水江浦島子が、舟に乗って釣りをしていた。そ して大亀を得た。それがたちまち女となった浦島は感動して妻とした。二人は一緒 に海中に入り、蓬莱山に至って、仙境を見て回った。この話は別の巻にある。 二十三年・・・」 え?二十二年は、これだけ? 古事記にもない(T_T) 古語拾遺にも。 旧事本紀にもありません。 この「大佐々命」について記載されているのは、「神道五部書」のうちの一冊、 「倭姫命世記」なのですね。 この書物は持ってないのですが、「神社新報社 日本神名辞典」で、「大佐々命」 をひくと、 「阿波羅波命の子。倭姫命世記に雄略天皇二十二年七月七日、倭姫命の夢のお告げに より大佐佐命が丹波国余佐郡真井原より現在の鎮座地である度会の山田原へ止由気 大神を迎えたことが記されている。さらに倭姫命世記には大神を奉遷の後、大佐佐 命を以って二所大神宮の大神主として任命し、神宮に奉仕させたとみえている。ま た、豊受皇大神御鎮座本紀にも同様の事が記されている」 と説明されています。 う〜〜〜ん、依然、「???」ですね。 この神社と、豊受皇大神の関わりについてからして、ご由緒からはわからないです から、ここで、お手上げ(^^ゞ さて、では、主祭神の伊射奈美命に視線を移しましょう。 このご祭神とこの神社の関わりについてもまた、ご由緒には何も触れられていませ ん。 ただ、一番素直に考えられるのは、「五柱の神」が、この神社のご祭神である、と いうことでしょうか。 ご由緒によれば、豊受皇大神が伊勢の外宮に鎮座された時に、この五柱の神の鎮座 地探しが始まったとなっています。 とすると、五柱の神「伊射奈美命・天兒屋根命・手力雄命・天忍熊根命・蛭子命」 と、豊受皇大神とは、直接的にか間接的にか、何かの関係があったと思われます。 例えば、この五柱の神は、豊受皇大神とともに、伊勢へやってきたが、落ち着かな かったので、他の地へ遷った。 もしくは、もともと、この五柱の神がおられた場所に豊受皇大神が遷ってこられた ので、場所を譲った。 まぁ、この「五柱」が、当社のご祭神のことである、とはっきりしているわけでは ないので、もしかしたら徒労となるかもしれませんが、とりあえず、見てみましょ う。 とすると、豊受大神とは?というところから入らなければならないのですが、これ が、一筋縄ではいかない(T_T) もちろん、伊勢神宮外宮にお祀りされている神として有名ですし、これは、この神 社のご由緒の内容とも一致します。 が、古事記の「天降」のくだりに、こんな文章があります。 「ここに天の児屋の命、布刀玉の命、天の宇受売の命、伊斯許理度売の命、玉の祖の 命、併せて五伴の緒を支ち加えて、天降らしめたまひき。 ここにその招きし八尺の勾玉、鏡、また草薙の剣、また常世の思金の神、手力男の 神、天の石門別の神を副え賜ひて詔りたまはくは、『これの鏡は、もはら我が御魂 として、吾が前を拝くがごと、斎きまつれ。次に思金の神は、前の事を取り持ちて、 政まをしたまへ』とのりたまひき。 この二柱の神は、拆く釧五十鈴の宮を拝き祭る。次に登由宇気の神、こは外つ宮の 度相にます神なり。」 このくだりでは、登由宇気の神と、この神社のご祭神、「天兒屋根命・手力雄命」 が登場していますね。 天兒屋根命は、五伴の緒の一人として。手力雄命は、三種の神器と共に語られてい ます。 そして、登由宇気の神は、外宮にいる神として??? なんとなく、よくわかりませんが、天孫降臨の際に重要な神として登場している、 と考えられます。 天忍熊根命は、天押雲根命のことだと考えられます。 この神は、春日大社の若宮に祀られていて、「中臣寿詞」に登場する神で、天兒屋 根命の御子とされてます。 ですから、もしかしたら、この三柱の神は、伊勢山田まで豊受皇大神と一緒に来て、 その後、また遷られたのかもしれません。 伊射奈美命・蛭子命については、豊受皇大神よりも、この女神を招致した、「天照 大神」とのご縁が深いと感じます。 伊射奈美命は、天照大神の母。 蛭子命は天照大神とは兄妹、もしくは、姉弟にあたります。 名前も、天照大神の別名「オオヒルメムチ」と、「ヒルコ」。何か関連が深そうで はありませんか? ということから考えると、この神々は、伊勢の自分達の鎮座地を豊受皇大神に譲っ たのかもしれません。 それがなぜか、と言うと、「この二柱の神がいた場所が、天照大神の鎮座する場所 に仕えるのに便利で、よい場所だから」・・・じゃないか、と。 とすると、この二柱の神は、もしかしたら記紀で説明されているよりずっと、天照 大神にとって大事な神だった、か、もしくは、天照大神自身と何か関連がかなり深 い・・・なんてことも考えられたりなんかして・・・(~_~) さて、ここで一つ目の疑問に対しては、なんとなく、とはいえ、自分なりに納得で きました。 それでは、二つ目の疑問、「姫宮」の「姫」とは? これは・・・。いつごろから「姫宮」と呼ばれたかもわかりませんし。 とにかく、「女神のおられる宮」というイメージが強かったのあかなぁ。とだけ。 そして最後に、なぜ、主祭神は、「伊射奈美命」なのに、社名は「伊射奈岐神社」 なのでしょう? これは・・・、本当に、謎です。 伊射奈岐命と、伊射奈美命は、夫婦神ですから、なんらかの形で一緒に・・・とい う配慮が、いつの時代かにあったのかもしれません。 しかし、この二神。 「最初の夫婦神」であると共に、「最初に喧嘩別れした夫婦神」でもあったりします。 また、「子沢山の夫婦神」というイメージも強いかも。 私達が参拝した日、この神社では、神前結婚式が執り行われておりました。 「夫婦」「子沢山」の部分だけ真似してくださいね〜〜〜(#^.^#) と、密かに祈ったのでした。