祭 神:戀志谷姫大神 説 明:栞によりますと、 「鎌倉時代の末期、倒幕の計画が知れ、笠置山に難を逃れた、 後醍醐天皇。 それを天皇に想いをよせていた、ある高位の女官が聞きつけ、 伊勢で病気の療養中にもかかわらず駆け付けます。 しかし彼女が着いた時はすでに遅く、天皇は追っ手から逃れ るために笠置山を発った後でした。 彼女は天皇に会えなかった悲しみと長旅の疲れから持病が再 発。天皇に恋心を抱き続けながら、一目も逢うことができな いうちに自らの命を絶ってしまいます。 その時彼女は天皇のことを心配し、恋焦がれ、そして病に苦 しむような辛いことは自分一人で十分と、人々の守り神にな ろうと遺言したそうです。 このことを哀れんだ人々が祠を建てて、祀ったと言い伝えら れています。 最後まで『(天皇が)恋しい、恋しい』と彼女が言い続けて いたことから、いつしか愛着を込めて、『恋志谷さん』と呼 ばれるように。 女性の守り神として春と秋に行われる大祭には、地元はもち ろん京都や大阪からも霊験を慕って多くの人達が訪れていま す。」 とあります。 住 所:京都府相楽郡南山城村南大河原 電話番号:07439−3−0008 ひとこと:後醍醐天皇の時代、「高位の女官」が天皇を追って来るよう なことが許されていたのかどうか・・・。 この高位の女官は、大体、天皇の想い人だったんでしょうか。 それとも、彼女が勝手に? そこんとこも気になるところですね。 この村人は、「見た目、高位の女官っぽい女性」が、「天皇 を追っかけてきた」と言ったことを真に受けて、哀れに想い、 祠を建てたわけですが、彼女の言葉が本当なのか、狂言なの か、誰にもわかりません。 この由緒に信憑性があるかどうかは分りませんが(←身も蓋 もないですね。すんません)、彼女が命をかけて、天皇か、 それとも彼女の空想・妄想の中の誰かを愛したのは、本当か も知れません。 そして、それを哀れに想った村人がいて、それを信じる、現 代の我々がいれば、この神社の「恋愛を叶える力」は、本当 になるでしょう。 また、この神社の鳥居に、好きな人のことを想いながら石を 投げ、うまく乗ると、恋が叶うという言い伝えもあるそうで、 恋愛成就の祈願にはもってこいの神社だと言えそうです。 **後記** 南朝博士・河内判官殿に、この神社の伝説の信憑性の程を、 聞いてみました。 「後醍醐天皇に限って云えば、当時モテモテでした。 ですので当然に追っかけもおったことでせうね。 現実に阿野廉子は隠岐へ配流される後醍醐天皇に志願してつ いて行ってゐます。普通、配流されるといったらもはや将来 の望みがないものに等しく、にもかかわらずついて行ったの ですから、これは真実後醍醐天皇に対する愛から出たものと 思われます。 ただ、まぁこの神社に関しては、その女官の名前が明らかで なかったので、どうかなぁ?とは思ふのですが。」 とのこと。なるほど。 女官が、後醍醐天皇を恋慕って、山奥までやってくる、とい う可能性は十分なのですね。 としたら、この「女官」が、本当に「高位の女官」だったか どうかなんて、あまり意味のないことだと思います。 恋に生きて死んだ女性が、後世の恋する女性の為に力を貸し てくれる神社なのでしょう。 なお、この神社、「こいしだに」ではなく、「こいしや」と 読むそうです。