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御杖神社

mitsue

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御杖神社そばにある姫石明神




  祭  神:久那斗神 八衢比古神 八衢比女神 
  説  明:境内看板を引用します。
      「第十一代垂仁天皇は、皇女倭姫命に勅して、天照大神の御杖代となり、大和笠縫邑
       より神慮に叶うべき地を求められし道中、この地に行宮を造り、ご休座になられし
       処と伝され、姫の杖をお祭り申し上げております。
       祭神・八衢比古神・八衢比女神の八衢とは辻の義にて、国引き地引き塞の神として
       悪禍を塞き防ぎ守る神なり。
       久那戸神の久那戸とは杖の義にて道路の神、巷の神として、悪禍を寄乍ら遮りて、
       此の所より来る勿れ防ぎ留めて行路を安全に守護する郷向導の神なり」
  住  所:奈良県宇陀郡御杖村神末1020
  電話番号:
  ひとこと:このご祭神は、「道餐祭祝詞」に登場する神々です。

       桜楓社「祝詞」から、道餐祭祝詞を引用しますと、

      「高天の原に事始めて、皇御孫の命と称へ辞竟へ奉る、大八衢にゆつ磐村の如く塞が
       り坐す皇神等の前に申さく、八衢比古・八衢比売・久那斗と御名をば申して辞竟へ
       奉らくは、根の国・底の国より麁び疎び来らむ物に、相ひ率ひ相ひ口会ふる事無く
       て、下より行かば下を守り、上より往かば上を守り、夜の守り・日の守りに守り奉
       り、斎ひ奉れと、進る幣帛は、明妙・照妙・和妙・荒妙に備へ奉り、御酒は・ミカ
       辺高知り、ミカの腹満て雙べて、汁にも穎にも、山野に住む物は、毛の和物・毛の
       荒物、青海の原に住む物は鰭の廣物・鰭の狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに
       横山の如く置き足らはして、進るうづの幣帛を、平けく聞こし食して、八衢にゆつ
       磐村の如く塞がり坐して、皇御孫命を堅磐に常磐に斎ひ奉り、茂し御世に幸へ奉り
       給へと申す。
       又、親王等・王等・臣等・百の官の人等、天の下の公民に至るまでに、平けく斎ひ
       給へと、神官、天つ祝詞の太祝詞事を以ちて、称へ辞竟へ奉らくと申す。」

       つまり、道餐祭とは、久那斗神・八衢比古神・八衢比女神に御供えをして、
      「どうぞ、悪いものが入ってこないように守ってください」
       とお願いするお祭りのようですね。

       このご祭神は、まさにその、境で悪い物を防いでくださる神様なわけです。

       そんなことを頭に置いて、社名の「御杖」を見ると、「杖」は、「ここが境である」
       という標ではないか、と思いつきませんか?

       車で路を走っていると、「ここから奈良県」などという看板がありますよね?
       あれです。

       しかし、神社の説明では、「御杖」は、倭姫が旅に使った杖である、となっていま
       す。

       考えてみれば、この地の人々にとって、倭姫は、「異界からの旅人」だったのでは?

      「御杖」を立てて、外界からの禍をシャットアウトしようとしている人々にとっては、
       異界からの旅人は、警戒すべき者だったでしょう。
       そんな状況の下で、倭姫が、この神社のご祭神の面々に受け入れられたのは、
      「さすが、清らかな姫ぎみ」
       というところでしょうか(笑)

       さて、道に立って、悪いものをシャットアウトしてもらおう、という考えは、決し
       て、珍しいものではないですよね。

       道祖神・六地蔵・仁王など。
       外界からやってくるもをシャットアウトしようとするものは複数あります。

       仁王さんはよくわかるんですよ。
       怖い顔をしているでしょう?
       あんな怖い顔をして睨みつけられたら、いかに悪者とはいえ、中に入りづらいです
       よね。確かに。

       六地蔵さんも、わかります。
       お地蔵様は六道の案内人。
       境で待っていてくださって、旅立ちの案内をしてくださる。
       新しい世界への道案内をするために、境に立っておられるので、
      「そこにいらっしゃるのでしたら、ついでというのはなんですけれども、悪い物が入
       ってこないように、ひとつ、見張りなどお願いできませんでしょうか?」

       なんてことで、悪禍除けの意味が付加されたのかもしれません。

       道祖神は、天孫・瓊々杵尊の先導役を務めた、猿田彦神がモデルだといいますから、
       これもまた、境で立って道案内をしてくださってるのならば、悪禍が入ってこない
       ように見張りを・・・厚かましいんですけど、お願いできませんでしょうか?
       ってな経緯で、禍除けになったのかもしれません。

       そうかもしれませんが・・・。
       なんというか、道祖神ってのは、男女一対になっているのが多いんですよね(^^ゞ
      (こちらのご祭神も「八衢比古神&八衢比女神」。
       男女のペアになってますね。)

       しかも。
       道にある道祖神。
       場合によっては、ことの真っ最中ってなものも・・・。

       見張るどころじゃないと思うんですが(T_T)

       ちと下世話な話ですが、男女の性の違いとして、男性の方が、ことが済んだらすぐ
       に現実に戻ってしまう・・・なぁんて話があります。

       女性から見たら、「無粋なやつ」ということになるようですが。
       これは、外敵が多かった時代、いつまでも余韻にひたってたら、野生動物に襲われ
       かねなかったということの名残なんだそうです。

       つまり、性交の間は、それくらい無防備だということでございます。

       ・・・あかんやんっ!!

       と思うでしょ?しかしですね。
       外禍というもののほとんどは、厄病だったでしょうから、性交することにより性器
       を見せつけ、厄病を寄せつけないようにしよう、という考えもあります。
       性器は生気の源。
       厄病が畏れると考えられていたのですから。

       とはいいつつ、「厄病」が、覗き精神旺盛だった場合は・・・???

       う〜〜ん(^^ゞ
       多分、覗きに没頭して、村に侵入することを忘れちゃうのでしょう。

       さすが、道祖神、ビバビバ!!
       
       ちなみに、そばには、倭姫命が婦人病の快癒を祈ったとする姫石明神があります。
       流浪の女性・婦人病の流れは淡島様や中将姫と重なりますね。
       気になります。

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