祭 神:阿智使主 説 明:境内看板によりますと、 「桧隈は、百済から渡来した阿智使主が居住したと伝えられ、 於美阿志神社はその阿智使主を祭神とする。 桧隈寺跡は、その神社の境内にあり、塔・講堂と推定される建物跡を 残す。 『日本書紀』天武天皇朱雀元年の条に桧隈寺の寺名がみえ、寺跡からは、 7世紀末の瓦が出土する。 現在塔跡にある十三重石塔は上層の一部を欠いているが重要文化財に 指定されている。」 とあります。 住 所:奈良県高市郡明日香村桧隈 電話番号: ひとこと:これは、いろんな方が気づいておられるようですが、 「於美阿志神社」は、「おみあしじんじゃ」と読みます。 「阿智使主」は、「あちのおみ」と読みます。 「おみあし」→「おみあち」→「おみレあち」→「あちおみ」→「あち のおみ」 ばんざ〜〜い、ばんざ〜〜〜〜〜い!! なのであります(^^ゞ でも、私はどちらかというと、「おみあし」という音から、 「あ〜〜ら、奥様、素敵なおみ脚ですことっ!!」 「んま〜〜、奥様こそ、素敵なおぐしじゃござぁませんか!」 ってな会話を連想してしまいます。 ん〜〜〜、ベタだ。 さて、阿智使主なんですが、この人物は、応神天皇の時代に登場しま す。 日本書紀には「阿直岐」、古事記には「阿知吉師」となっていますが、 百済の王・照古王から派遣された賢人です。 この賢人が自分より賢い人物として推薦したのが、「和邇(王仁)吉 師」です。 同時期に、渡来したのは、古事記によれば、工人の「鍛冶屋卓素」、 機を織る「西素」、秦の造、漢の直の祖先、酒造りの「仁番(須須許 理)」らです。 当時の主要な産業について、異国の文化が流れ込んできたことになり ますねぇ。 話はずれますが(いつものことですが)、私は、ピザを始めて食べた 時のことを鮮明に覚えてます。 今は、いろんな国の料理を日本の中で食べることが、珍しいことでは なくなっちゃいましたけどね。 ピザを食べたのは、10歳くらいの時のことですから、1970年代 ですよ。えぇ。もちろん、後期ですけどね。 今思えば、ピザっていっても、お好み焼き生地にケチャップ乗せて、 チーズ乗せただけだったような気もするんだけど、こんなとろとろの チーズがあるのか!!!と、いたく感激し、外食の度に食べてたと思 います。 この当時、外国から入ってきたお酒は、今、どのような形で残ってい るのでしょうねぇ。 私達が普通に飲んでいる「日本酒」の素になっているんでしょうね。 このお酒を飲んで(多分)感激した応神天皇は、こんな歌を詠んでお られます。 「須須許理が 醸(か)みし御酒に われ酔ひにけり 事無酒咲酒(なぐしゑぐし)に われ酔ひにけり」 ちぇ、いいなぁ。 「事無酒咲酒」は、心配事のない酒、華やかな酒ってくらいの意味でし ょうか。 さぞかしおいしかったんだと思うのです。 そうすると、こんな考えが浮かんできます。 「現代のお酒を応神天皇が飲んだら、どんな反応をされるだろう?」 まさか・・・。 「ぺっ!!なんじゃ、この薬くさいお酒は!!」 だったらどないしましょ〜(T_T)