祭 神:大名持御魂神 須勢理比女命 少彦名命 説 明:大名持御魂神とは、大国主命の別名です。 須勢理比女命は、大名持御魂神の正妻。少彦名命は、大名 持御魂神と共に、国造りの基礎を築いた神様です。 住 所:奈良県吉野郡吉野町河原屋87 電話番号:07463−2−2717 ひとこと:背後に妹山を抱いているこの神社の対岸に、背山という山 があります。 「妹」「背」ってのを現代語に訳すと、「ハニー♪」「ダー リング♪」ってことになるでしょうか。 このような名前が付いているのは多分理由があるのでしょ う。この二つの山を舞台に、「妹背山婦女庭訓」という浄 瑠璃が作られたそうです。 妹山を所領する太宰少弐国人の娘・雛鳥と、これに敵対す る背山を所領する大判事清澄の息子・久我之助の恋物語。 最終的には、二人共、自害します。 ・・・と言えば、「ロミオとジュリエット」みたい、と、 感じるでしょうが、自害の原因が、「雛鳥が、曽我入鹿に、 強引に召されたから」という、これは、いかにも時代劇調 なしあがりとなっています。 水戸黄門が、この時、大和の国を旅していなかったことが なんとも心残りですね。 ただし、「妹山」は、「忌み山」が、変化したのだという 説もあります。「神聖な山」=「忌み(触れ難い)山」と いうことで、今でも、この山の土は、「生きている」と、 信じられているのだそうです。 さて、大名持・大国主・大物主・・・全て同じ神様を表し ています。名前も同じような意味ですね。 多分、大地主だったのかな?と想像させます。 そして、正妻の須勢理比女も、やはり、大地主であった (であろう)素盞鳴尊の娘です。 この地域も、彼らの領地であったのでしょうか? 神社の方に聞いてみました。 「大名持神は、この辺りまで所領されていたのでしょうか?」 多分、宮司の奥様であったろうと思います。首を傾げなが ら・・・。 「そう、言われておりますが、私は、まだ生まれてなかった もので、はっきりとは分かりません。(ニッコリ)」 うう・・・。いいなぁ。