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忍陵神社

shinobugaoka




  祭  神:藤原鎌足公 熊野大神 品陀和氣命 馬守大神 大將軍神
  説  明:境内看板を転載します。
      「当神社は今から1200余年前より当地域(岡山・岡山東・砂地区)
       の守護神 熊野皇大神(諸願成就・災難消除)、藤原鎌足公・大将
       軍神(日本最古の方除の神)・馬守大神(交通安全・家業反映)を
       おまつりしています。古くは津鉾社・大将軍社・馬守社と別々にお
       まつりしていましたが、明治・大正時代に三社が合祀され現在の社
       名に改称されました。又、醍醐天皇の延長五年に定められた延喜式
       神名帳に記載された全国三一三二社ある延喜式内社(津鉾神社)の
       一社でもある立派な鎮守様です。この歴史ある伝統文化にささえら
       れてきた鎮守の森には、古墳時代前期(四世紀)の前方後円墳の石
       積石室が現存され、府下でも貴重な文化財であり、戦国時代には、
       当地が軍事上大変重要な地に選ばれ、歴史上何度となく登場する処
       でありますが、特に大阪夏の陣では徳川方の本陣が設営され、徳川
       幕府に大きな役割を成した場所でもあり縁起の良い処として、御勝
       山と称された、由緒ある鎮守の森でもあります。」

       平成祭礼データには、
      「当神社はもと岡山の東方赤山に鎮座する延喜式内社、津鉾神社と岡
       山の南山下に鎮座する馬守社、砂に鎮座する大将軍神を合祀し、江
       戸時代この処に遷座し忍陵神社と称する様になった。津鉾氏の氏神
       又摂津住吉神社の馬守社を勧請、兵馬の神と祀り、方位方角の守り
       神として大将軍神を配している。」
       とあります。
  住  所:大阪府四条畷市岡山2−7−12
  電話番号:072−877−1850
  ひとこと:津鉾氏の氏神を勧請とありますが、それがどの神様を指しているの
       かがわかりません。
       馬守神と大将軍神は違うようですから、藤原鎌足公・熊野大神・品
       陀和氣命のどなたかが、津鉾氏の氏神様にあたるのでしょう。
       しかし、津鉾氏という名前、見当たりません。
       見つかりません(T_T)
       どんな氏族なんでしょう???

       もし、藤原鎌足公が氏神様なのだとしたら、藤原氏か中臣氏の関係、
       品陀和氣命だとしたら、源氏関係かもしれません。
       でも、熊野大神だとしたら?
       そして、気になるのは、境内案内板には、熊野皇大神と、「皇」と
       いう文字がついていることなんです。

      「皇」とは?
       今では、この字、「白」と「王」で成り立っていますが、実は、
      「白」じゃなくて、「自」なんですね。
       つまり、自ずから王である、生まれながらの王である、ということ
       を示す文字でしょう。
      「すめらぎ」とも読み、これ一文字で、「天皇」を示すこともありま
       す。

       ちなみに「皇帝」という言葉がありますが、これは、中国の歴史に
       関係があります。
       伏羲・神農・女か(かは、女偏に咼)の三神が三皇。
       黄帝・帝高陽・帝高辛・帝堯・帝舜の五王が五帝。
       それぞれ古代中国を支配した伝説的賢人です。
       中国では、これを三皇五帝と呼び、崇拝されているんだそうです。
       つまり、「皇帝」とは、「三皇五帝」の上を行くんですね。
      「皇」であり、「帝」でさえもある、と。

       閑話休題。
       さて、この「熊野皇大神」です。
      「皇」と名がついているところを見ると、「熊野」にありながら、
      「天皇」に関係の深い神様である、といえるかもしれません。とすれ
       ばどなたか?

       熊野に祀られている神様といえば、素戔鳴尊をまず思い出します。
       もちろん、伊邪那岐神・伊邪那美神もお祀りされていますが、それ
       は、素戔鳴尊の父母として・・・という感じが否めません。

       しかし、ご存知の通り、皇室は、素戔鳴尊ではなく、天照大神の子
       孫ですね。

       としたら、なぜ、「皇」の文字を「熊野」にくっつけてるのか?

       思い出して欲しいのは、天孫である瓊々杵尊の父親、天忍穂耳尊は、
       天照大神と素戔鳴尊の誓約の時に生まれます。
       そして、日本書紀一書(第一)では、この天忍穂耳尊の他、五男神
       を、天照大神ではなく、素戔鳴尊の息子である、としています。
       もしそうならば、皇室の祖神は、天照大神ではなく、素戔鳴尊なん
       ですよね・・・。

       とはいえ、そう深く考える必要はないかもしれません。
       実は、「熊野皇神社」という神社は、軽井沢・明石市など、各地に
       あるようなんです。

       深読みする必要はないかもしれませんが・・・。
       素戔鳴尊を、祖神とする、「皇筋」が、ある時代にあった可能性も
       あるかもしれませんね。わかんないけど。

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