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當麻山口神社

taimayamaguchi




  祭  神:大山祇命 天津彦火瓊瓊杵命 木花佐久夜比賣命
       摂社 當麻都比古神社
          祭神:麻呂子皇子 當麻津姫
       末社 春日若宮神社
          祭神:天忍雲根命
  説  明:境内の看板を転記します。
      「ご由緒
       往古より近郷十六カ村(當麻・大橋・西中・勝根・今在家・染野・
       市場・岡崎・大中・有井・神楽・築山・大谷・池田・野口・鎌田)
       の郷社鎮守産土大神として広く崇敬、信仰されてきた旧指定郷社で
       す。延喜式神名帳(901年)に、『人皇五十五代文徳天皇仁寿三
       年(853年)、夏四月、冬十一月、これを祭る』と当時既に式内
       大社の官社であった事が記されています。
       また、三代実録には清和天皇の貞観元年正月二十七日(859年)
       に当神社に正五位を贈られ、勅使が参向して奉幣を奉納とあり、神
       社縁起の上からもまことに古い歴史をもつ由緒深いお社です。
       摂社當麻都比古神社の祭神麻呂子皇子は用明天皇の皇子で聖徳太子
       の異母弟にあたり、當麻氏の先祖とされています。當麻寺を創建し
       たこの地の豪族・當麻氏の氏神として男女二神をお祀りしておりま
       す。延喜式神名帳に式内小社と記載されています。
  住  所:奈良県北葛城郡當麻町當麻1081
  電話番号:
  ひとこと:なんにせよ「山口」と名前につく神社で、大山祇ファミリーが祀ら
       れていることは珍しくありません。
       それは、「山口神社なんだから、山の神様でしょ」というお約束に
       より、そうなっていることが多い、のかもしれません。

       としたら、この當麻の山口神社には、もともとは、この山(二上山)
       を神格化した神様が祀られていたに違いない、と思うのですが、そ
       れはどんな神様だったかは、わかりません。

       ただ、二上山は、大津皇子が眠っている山です。
       大津皇子は、天武天皇と太田皇女の息子。
       太田皇女は持統天皇の姉にあたります。
       天武天皇の跡継ぎは、持統天皇との間の御子・草壁皇子でしたが、
       二人の年齢はさほど変わらず、大津皇子に人望があった為、持統天
       皇は、かなり警戒していた、とされています。

       そして、大津皇子は、クーデターを興し、処刑されてしまいます。

       天武天皇崩御が、朱鳥元(686年)年9月9日、大津皇子のクー
       デター発覚は、同じ年の10月2日。処刑はその次の日、10月3
       日。
       天武天皇が崩御してから、あっという間に、持統天皇にとっての邪
       魔者は、消されてしまった・・・という印象が残ります。

       ただ、持統天皇寄りの書物であるはずの「日本書紀」には、大津皇
       子の人となりを、こう表現しています。
      「威儀備わり、言語明朗で天智天皇に愛されておられた。成長するに
       及び有能で才学に富み、とくに文筆を愛された。この頃の詩賦の興
       隆は、皇子大津に始まったといえる。」
       朱鳥5年9月9日に崩じた川嶋皇子の死を、ただ、
      「浄大参皇子川嶋が薨じた」
       とだけ報じていることを考えると、格別の扱いではないでしょうか?

       そこに、大津皇子を処刑せねばならなかった持統天皇の苦悩が見え
       るような気がします。

       このように、激しく憎み、かつ、憎みきれない若者を眠らせる山と
       は、どんな山でしょうね?
       まず、若者の魂を鎮めなくてはなりません。
       なにしろ大津皇子は実力者なのです。彼が本気を出して祟ったら、
       菅原道真公や、崇道天皇以上の力を発揮するでしょう・・・いや、
       持統天皇の頃には、まだ菅原道真公などの御霊は登場してませんが、
       いくら、現実的な女帝・持統天皇でも、祟りのことを考えなかった
       ということはないでしょう。

       そして、憎みきれないから、彼の魂の平安を実現する場所を選んだ
       のではないでしょうか。

       そんな目で見てみると、摂社・當麻都比古神社のご祭神に目がとま
       ります。
       麿子皇子は、聖徳太子の異母弟であり、大江山の鰾古・軽足・土車
       という鬼を退治したことで知られています。

       つまり、當麻・二上は、鬼=魂を退治、鎮める力があった山なので
       はないでしょうか?
       
       そしてその霊験があらたかであったことは、大津皇子の祟りについ
       て、噂されることがその後ずっとなかったことでもわかるでしょう。

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