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筑波山神社

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  祭  神:筑波男ノ神(伊弉諾尊) 筑波女ノ神 (伊弉册尊)
  説  明:境内案内によれば
      「筑波山は、伊弉諾尊・伊弉册尊二神御降臨の霊山で、西峰に男
       大神、東峰に女大神を祀り、筑波山神社と崇め奉る。世々筑波
       国造が奉仕し、嵯峨天皇の弘仁十四年正月官社となり、延喜式
       内名神大社に列す。
       慶長の初め、徳川家康は、当山を以って江戸城鎮護将軍家第一
       等の御祈願所と定め、寛永十年十一月、三代将軍家光は山内の
       諸社堂伽藍を悉く寄進造営した。」
      「延喜式の名神大社、筑波郡筑波山神社男女二神の神体山と崇め
       られたつ玖波郡筑波山の北側境界は奈良時代に遡る筑波、真壁
       両郡の行政境界である。
       筑波郡筑波山は江戸時代には独立した行政単位で、その北側は
       真壁郡羽鳥村に隣接していた。」
       などとあります。

       栞には、
      「筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、信仰の
       対象として仰がれてきました。御山から受ける恵みの数々は、
       まさに神からの賜物でありました。その山容が二峰相並ぶため、
       自然に男女二柱の祖神が祀られました。その後祖神は『いざな
       ぎの神・いざなみの神』と日本神話で伝えることから、筑波の
       の大神も『いざなぎ・いざなみ両神』として仰がれています。」
      「第十代崇神天皇の御代(約二千年前)に、筑波山を中心として、
       筑波・新治・茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命
      (つくばのみこと)が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政
       一致と筑波山神社に奉納しました。」
       とあります。
  住  所:茨城県つくば市筑波1
  電話番号:0298−66−0502
  ひとこと:さて、この神社の護門神は誰でしょう?
       倭建命?
       あたりです。
       さて、もう一人は?
       はい。豊城入彦命なんですね。彼は東国を治めた人物で、崇神
       天皇の長子です・・・ん?

       えぇっと、崇神天皇の時代に、筑波・新治・茨城の三国の国造
       として物部氏がやってきたんですよね。

       崇神天皇は、息子の豊城入彦命に、「東国を治めよ」と言った
       と日本書紀には書いてあるんですけど???

       なんで、息子が治めに出向いている場所に、物部氏を国造とし
       て遣わすのだ?

       推理1
       息子の豊城入彦命は、若過ぎて、後見役として物部氏を付けな
       いと不安だった。

       この時、崇神天皇十九年。
       天皇が皇太子になったのが十九歳。開化天皇二十八年のこと。
       そして、天皇即位が、開化天皇六十年のこと。
       ということは?崇神天皇の即位は、五十一歳の時のことだ、と
       言うことになりますね。
       そりゃ、二十歳前後の我が子を東国へ一人でやるのは忍びない
       かも知れません。

       推理2
       豊城入彦命の母親が物部氏であった。

       母親は、紀伊国の荒河戸畔の女となっています。この荒河戸畔
       という人物が物部氏ならば、孫が東国へ行くならわしらも行く
       べぇ・・・と一族もろとも東国に入った可能性はあるかもしれ
       ません。

       いずれにしても、この地は物部氏に関連があった、ようです。

       そこで、気になってくるのは、祭神が、「日本の祖神」として
       紹介されていることです。

       栞によれば、祭神を伊弉諾尊・伊弉册尊としているのは、あく
       までも、

      「日本神話」では、「日本の祖神」が、「いざなぎ・いざなみ」
       だから。

       であって、元から「いざなぎ・いざなみ」として祀られてきた
       わけではないことがわかります。

       誰だったんでしょうね?
       単に、「祖神の男性」「祖神の女性」でいいとは思いますけど。

       もしくは、「お山」が神様だったのだとすれば、自分達人間は、
      「お山」から発生した、とこの地の人が感じていたのかも知れま
       せん。

       さて、「お山」の話題にゆきましょう。

       筑波山は、男体山と女体山の二峰で成り立っています。

       男体山の標高は、871m(神社の栞では870となっている
       のですが、平成11年、正確に測ると、871mであることが
       わかったのだそうです)。
       女体山の標高は、877m(同じく平成11年から高く表示さ
       れてます)。
       男体山の頂上には男神が、女体山の頂上には女神がそれぞれ祀
       られているので、つまり女神が男神を見下ろしている形になり
       ます。

       山の風情は、北から見ると「へへ」という形になっていまして、
       右が男体山です。

       つまり!!男が女に従っているように見えません?
       もしくは、男が女にのしかかっているようにも見えますね(^^ゞ
      (んでもって、女が、「あっちいって、しっしっ!」と言ってる
       ようにも・・・)

       どのような感覚で、昔の人が、こちらを男・こちらを女という
       風に決めたのか、ちょっと気になります。

       そういや、日本では、奥さんのことを、「おかみさん」「山の
       神」なんていう名前で呼ぶんでしたね(^O^)

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