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都久夫須麻神社

tsukubusuma




  祭  神:市杵島姫命(弁財天) 宇賀神(龍神) 浅井姫命
  説  明:栞によりますと、
      「三社弁財天祭
       弁財天は七福神の一神で、福徳賦与の神であり、財宝を施す
       福の神です。弁舌や音楽を司る神様です。
       古代インドの神話にでてくるサラスバティーという河川が神
       格化された自然神で、学問・芸術の守護神とされ、吉祥天と
       共に、インドで最も尊敬崇拝された女神えす。
       わが国に伝えられたとき、日本神話の市杵島姫とこの二神が
       結び付いて『慈悲』『財施』『安心』の御利益が信仰されて
       きました。今わが国千数百の弁財天が祀られている中で、日
       本三大弁財天として霊験あらたかなことで知られています。
       安芸の宮島の厳島神社、相模の江楽神社、その中でも竹生島
       神社は、弁財天発祥の地とされています。

       竹生島神社の起源
       雄略天皇三年に創立された(延喜式)。天智天皇が志賀宮創
       建の時、宮中の守護神として祀られた社殿である。
       竹生島縁起によると、まだ日本の国土が固まっていなかった
       時、大己貴神と久延産命が龍神に命じて、国土を五つの神杭
       に結んだと言われた竹生島神社は『霊(ひ)の本つ国』即ち。
       世界の根源であったと言われる。
       天平九年(西暦1581年)四月十日、信長は小姓5,6名
       を伴い竹生島へ参詣し、その日の内に安土城へ戻っている。
       竹生島詣は歴史上有名である。寿永二年(西暦1183年)
       四月、但馬守経正は木曽義仲追討の戦勝を祈願し、神前にて
      『青山』で秘曲『上玄石上』を弾いた地である。

       御祭神
       竹生島神社の御祭神は、市杵島姫命(弁財天)・宇賀神(竜
       神)・浅井姫命の三柱の神様を御祀りしております。
       市杵島姫/別名:弁財天・宗像大神と申し上げ、天照大神の
       お子様で、『古事記』によると、海上・陸上の道をお開きに
       なり交通安全・開運厄除の神様です。
       また弁財天は『慈悲』『安心』のご利益が侵攻されています。
       宇賀神(うがじん)/別名:龍神・宇賀御魂命と申し上げ、
       五穀豊穣・商売繁盛の神様として広く侵攻を集めています。

       童子迎えの神事
       この地に琵琶湖が出現して六百万年と言われております。
       その遥か昔、私達の祖先は水辺に住み、水と祈りと恵を受け
       生活をして参りました。そしてこの大自然の中に神の存在を
       感じるようになりました。
       それは祖先への感謝と鎮魂、世界の平和を祈る心です。その
       思いを一枚の神札に託し琵琶湖へ鎮めるおまつりです。」
       とあります。

       なぜか栞には、浅井姫命の説明だけなかったので、付記する
       と、

       浅井姫命は、『帝皇編年記』などに登場する神様。
       伊吹山と浅井の岡が高さを競ったところ、浅井の岡が一夜で
       高さを増したので、伊吹山の神が怒って浅井比賣の首を切り
       落とし、その首が琵琶湖に落ちて竹生島となったと言われま
       す。つまり、島自体が、浅井姫命なのですね。
  住  所:滋賀県東浅井びわ町早崎1152
  電話番号:0749−72−2073
  ひとこと:弁財天・宇賀神共に蛇の化身とされているからか、多くの弁
       天像は、頭に宇賀神を載せておられます。

       ご神徳は、弁財天は、「開運厄除け」や、慈悲・財施・安心
       など。
       宇賀神は、五穀豊穣。
       性格は、すこ〜〜し、違われるようです。

       この島に弁財天を祀ったという最古の文献は、天智天皇の時
       代だそうで、それ以前に誰をお祀りされていたかは、不詳な
       のだそうです。

       また、この神社は、島自体がご神体(島を斎く=いつくぶ島)
       であったため、人は遠くから敬拝していたのだそうです。

       さて、竹生島縁起は、少しおもしろいですね。

       大己貴命の国造りのパートナーが、少彦名命ではなく、久延
       産命(智恵の神様)だと書かれています。

       いえ、その前に、国を作ったのが伊邪那岐命・伊邪那美命で
       はなく、大己貴命であるというのが、少し不思議です。

      「この神社は、出雲国風土記にも載っているんでしょうか?」
       と、宮司に質問してみました。

      「流れとしては、この島は、出雲の文化が北上する途上ですか
       ら、可能性はあるでしょう」
       とのお答えでした。

       また、この神社の主祭神・市杵島姫は、大国主命の奥様であ
       ったと言われている・・・とも。

       ん???
       ちょっと待ってくださいね。
       市杵島姫命は、いわゆる、宗像三女神の一柱。
       素盞鳴尊の娘で、多紀理姫・田寸津姫と共に生まれた神様で
       す。

       そして、多紀理姫は、大国主命との間に、高彦根命と下照姫
       命をもうけています。

       また、大国主命の息子・事代主命を生んだ神屋楯姫は、田寸
       津姫のことだという説もあります。

       その上、大国主命の正妻は、素盞鳴尊の娘・須勢理姫なんで
       す。

       四姉妹・結婚しても、まだ姉妹・・・なんですね。

       思いきり渋面してしまった私に、宮司は、
      「大国主命は一人の人物ではなく、部族の名称ではないでしょ
       うか?」と。

       なるほど。
       しかし、そうすると、素盞鳴尊の部族と大国主命の部族は、
       かなり親密だったということなのでしょうね。

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