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津嶋部神社

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  祭  神:津嶋女大神 菅原道眞 素盞嗚尊
  説  明:平成祭礼データによりますと、
      「当神社は今より凡そ一、二OO年も前の遠い昔からの当地の氏神さまで、
       延喜式内の古社で旧茨田郡一の宮の称あり、かの六国史の一つである文
       徳実録に「嘉祥三年(八五O年)十二月河内国津嶋女神従五位上」と見
       ゆるは当神社のことでありまして、寛永十年(一六三三年)淀の城主永
       井信濃守尚政この地を領するに及び菅公を合祀し神領五百石(一七八五
       二平方米)を寄進して大宮天満宮と称し、あつく崇敬せられました。
       氏地は現在の守口市と寝屋川市の両市に亘り境内地は今より拡大にして
       古松老楠生繁り荘厳な鎮守の森で、絵馬殿、宝物庫、地車庫、観音堂等
       あり、本殿、幣殿、拝殿総桧皮葺にして壮麗を極めましたが元和元年
      (一六一五年)五月大阪夏の陣に兵火のため惜しくも炎上し、天保七年
      (一八三六年)壮大な規模をもって社殿復興いたしました。現今の社殿は
       明治十五年(一八八二年)造営せしもので、同年十月盛大な正遷宮を行
       われました。その後、総瓦屋根であった社殿を昭和五十九年十月総銅板
       葺に葺替えられ現在に至る。
       境内に、皇太神宮、白龍稲荷社、若宮天満宮、厳島神社、山王神社等を
       祀る。また神宮寺として、金竜寺、豊蔵寺、大竜寺ありしも今は金竜寺
       のみ存す。」
       とあります。
  住  所:大阪府守口市金田町−15−6
  電話番号:
  ひとこと:津嶋女神とはどのような女神様でしょう?
       記紀には「津島女神」という名では登場しないようです。

       ただ、古事記では、伊邪那岐神・伊邪那美神が生んだ大八嶋の国々や、
       島々に、それぞれ、神名が当てられています。

       大八嶋の国生みを転記してみましょう。

      「子淡道の穂の狭別の島(淡路島)を生みたまひき。次に伊予の二名の島
      (四国)を生みたまひき。この島は、身一つにして面四つあり、面ごとに
       名有り。かれ伊予の国(愛媛)を愛比売といひ、讃岐の国(香川)を飯
       依比古といひ、粟の国(阿波、徳島)を大宜都比売といひ、土左の国
      (高知)は建依別いふ。
       次に隠伎の三子の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別。次に筑
       紫の島(九州)を生みたまひき。この島もま身一つにして面四つ有り、
       面ごとに名有り。かれ筑紫の国(筑前、筑後)を白日別といひ、豊の国
      (豊前、豊後)を豊日別といひ、肥の国(肥前、肥後)を建日向日豊久士
       比泥別といひ、熊曽国(肥後南部と薩摩)を建日別といふ。次に伊伎の
       島(壱岐島)を生みたまひき。またの名は天比登都柱といふ。次に津島
      (対馬)を生みたまひき。またの名は天の狭手依比売といふ。次に佐渡島
       を生みたまひき。次に大倭豊秋津島(本州に相当するが内容的には近畿
       を指す)を生みたまひき。またの名は天御虚空豊秋津根別といふ。かれ
       此の八島のまづ生まれしに因りて、大八島国という。」

       つまり、「津島女神」が、「津島」の「女神」という意味ならば、
      「天の狭手依比売」のことを指すことになるでしょう。

       んがっ!!
      「神名の語源事典 思文閣出版」には、
      「津島部神社(河内・茨田) 淀川の津島江の女神の社であるから、津島
       女神社である。このメ(女)→ベ(部)となったのである。メ・ベは鼻
       音と濁音の交代である」

       とあっさり切り捨てられてしまいました〜〜(T_T)

       ただ、なぜ、この淀川の「江」を「津嶋江」と呼んだか、については、
      「対馬(津嶋)」からやってきた部族が開拓したからという理由からかも
       知れませんし、「津嶋女神」と「狭手依姫」との関係が絶たれたとは、
       限りません(・・・って、未練がましい?)。

       まぁ(^^ゞ
       とりあえず、「対馬ってどこにあんの?」と、地図を見てみますと、
       九州の北。
       つまり、朝鮮半島と九州の中継地点じゃあありませんか。

       その嶋の神が、男神ではなく、女神であるというのが、何か興味をそ
       そりますね。

       記紀の記述では、まず未知の人物に応対するのは、女性の場合が多い
       ような気がするんですよね。男神が応対すると失敗してしまう。

       瓊々杵尊の一行を待ち構えていた猿田彦神と折衝をしたのは、天宇受
       女神でしょう?これは成功。

       保食神のところへ折衝に行ったのは、月読神。
       これは成功とは言い難いですよね。
       月読命は、保食神を殺害してしまいました。

       朝鮮からの移民が一旦休憩するであろう、「対馬」を女性の神にする
       というのは、「お迎えするのは、女神がよい」という意識があったん
       じゃないかな?と考えてしまいますね。

       また、津島女神が「津島江の女神」という意味だとした場合、「津島
       男神」も存在したのでしょうか?

       私が知る限り、水に関係する神は、ほとんどみな、女神なようです。
       なぜでしょう?

       一つは、五行では、「水」は「陰」だから、「陰」であるところの
      「女」を守り神に下、ということがあるかもしれません。

       しかしなによりも、清い水の流れには、清純な乙女の姿を見出してし
       まう・・・ということが大きいかも。

       もちろん男性的な川の流れというものも存在してはいると思います。

       揚子江ほどの大河になると、かなり男性的かも。

       でも、同じく大河であるところの「ナイル川」は、「母なるナイル」
       と表現されることが多いようです。

       つまり、ナイル川は、毎年氾濫することにより、土壌を肥沃にするん
       ですね。

       日本神話においても、川は、田畑に水を与え、すべてのものを清める
       母のような、清らかな乙女のようなもの、と見られていたのでしょう。

       それでは反対に、「これに関しては、絶対男神!」という対象物はあ
       るでしょうか?

       ・・・やはり、「水」と対局にある、「火」かもしれません。

       迦具土神は、男でしょう。

       ただ、ちょっと面白いのは、陰陽五行で、最も「陽」である「木」は、
       必ずしも男神じゃないんですよね。
       だって、ほら、木花開耶姫は、女性です。

       同じく「陰」にあたる、「金」も、同じです。
       これを製鉄に関係する、と見るならば、「天目一神」などが守護神と
       なるでしょうし、この神は、多分男性神でしょう。
       しかし、「水銀」・・・つまり「丹生」は、姫神です。

       日本人が自然に性別を見出すとき、必ずしも、中国から輸入した、陰
       陽五行説に影響されてるわけではない、ということでしょう。

       川の流れを見たら、古の人と同じように、そこに女神を見出して見る
       のも楽しいかもしれません。       

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