祭 神:素戔鳴尊 大己貴命 説 明:天智天皇2年(西暦662年)に素戔鳴尊。 その12年後に大己貴命をお祀りしたのが、創建。 延喜式神名帳では、「うまみちいそべ」と訓み、このあたりの、 古郷名とされ、東山道・中山道など古代の交通手段でもあった馬 を乗り継ぐ「駅」の置かれた所でもあった。 「石邊」とは、馬道郷の土豪「石邊君」の姓で、野洲川の良き水・ 豊穣の土地の恩恵に浴した『いそべ』で、かつては源氏蛍が飛び 交う郷であった。 「日本書紀」持統天皇8年に「醴泉(こざけのいずみ)益須郡の都 賀山に湧く」とある。 馬道石邊神社の神使は白犬だと伝えられる。 住 所:滋賀県守山市吉身4丁目4−1 電話番号:077−582−2993 ひとこと:都賀山って?地図には載ってないのだけど・・・? と調べてみたら、守山市三宅町にある「蓮生寺」の「山号」なの ですね?益須郡とは「やすのこおり」、野洲郡のことなのだそう です。 日本書紀によりますと、この「醴泉」は、数々の病人を癒したの だそうですが・・・現在は、残ってないようです。残念。 この醴泉を発見したのは、葛野羽衝・百済土羅羅女であるとなっ ています。この二人、どんな人物なのか、他には一切登場しない ですね。どうやって発見したのだろう?教えて欲しい・・・。 えとですね、また、なぜ、神使が、白犬なのかと言いますと、二 柱の神様が降臨したのが、共に、戌の年・戌の日だからなのだそ うです。 それで、素戔鳴尊と大己貴命の祭祀に「12年」の隔たりがある わけですね。納得。 なぜ、犬にこだわったんでしょうか? この神社の祭神は、素戔鳴尊と大己貴命お二柱とも縄文系の神様。 この馬道郷は、縄文文化が北上する通り道でもあったのかも知れ ません。 縄文文化は、狩猟文化であったといわれています。ならば、狩猟 犬は大切なパートナーであったのでしょうね。 縄文人は、犬を埋葬した跡があるんだそうです。人と一緒に埋葬 されているケースもあるとか。 また、弥生人は、犬を食用にしていた痕跡があるけれども、縄文 人にはないのだとか。 縄文時代、犬と人間は、衣食住を共にしてきたのかも知れません。 また、犬は「安産」の象徴でもあります。 古代の人にとっては、お産は、母子共に命に危険がある大きな事 件。パートナーである犬に、「お前も力になってやってくれよ」 くらいのことを語り掛けたかも知れません。 この神社の霊験は、素戔鳴尊の妻を娶るパワーと、大蛇退治の冒 険心。大己貴命の縁結びの力と、優しい心なのだそうですが、犬 の賢さ・・・なんてのも入れてもいいかも知れないですね。