renai

飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社

usutakihime




  祭  神:宇須多岐比売命
  説  明:白水社「日本の神々」によりますと、
      「日本書紀の皇極紀元年八月一日に、
      『天皇、南淵の河上に幸して、跪きて四方を拝む。天を仰ぎて
       乞ひたまふ。即ち、雷なりて大雨降る。遂に雨ふること五日。
       遍く天下を潤す。』
       とあるが、(中略)『南淵の河上』は、『延喜式』神名帳の
       高市郡『飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社』(小社)と考えて
       よいと思う」
       とありますが、詳細はわかりません。
  住  所:奈良県高市郡明日香村稲淵字宮山
  電話番号:
  ひとこと:「飛鳥坐」とつく四座の神社のうちの一社です。
       さて、この皇極天皇の雨乞いですが、実は、この前にいろん
       な祈祷がなされています。

       まず、この旱天は、この年の六月十六日に小雨が降ってから
       続いたようです。

       そして、その後、秋七月九日、客星(まろうどぼし=彗星の
       ことだと言われています)が月に入っています。
       彗星は、凶兆とされていますが、これは、この日照りの前兆
       だったのでしょうか?
       早速、朝廷で相撲がとられていますが、効果はなかったよう
       です。

       次には、七月二十五日、群臣が集まり、牛馬を生け贄にして、
       雨乞いをしてますが、これまた効果なし。

       続く二十七日、蘇我毛人大臣の発案で、百済大寺の南広場に
       て、多くの僧と蘇我大臣による大規模な雨乞いが行われてい
       ます。
       この時は、ほんのちょっぴりの小雨が降ったようです。

       つまり、天皇がそれだけ、力や徳があった、ということのよ
       うなのですが、その割には、この天皇(再任した後も)の、
       時代には、異変が続発しています。

       地震・放火・童謡(わざうた)の流行。

       この天皇は、記紀編纂に携わった、持統天皇の母親にあたり
       ます。

       この天皇の時代の記事に、何か、「予感」めいたものを感じ
       るのですが・・・。
       考えすぎ(^^ゞ?

home 神社のトップに戻ります back