祭 神:高おかみ神 説 明:栞によりますと 「白鳳四年(西暦657年)五月勧請。 持統帝の朱鳥元年頃(西暦686年)から八大龍王社と呼ばれ、 仁明帝の承和二年(西暦835年)から正霊天王社とも称され、 明治維新の際膳所藩主の会達に依り和田神社と称される。 琵琶湖の此の地先が和田浜と有り、其の地名をとったものと思 われる。現在の本殿は、鎌倉時代の建築様式を代表する他に比 類稀な特色を誇り、古代建築技術を保存するものとして著名で ある。 明治三十五年国宝の指定を受け、その後昭和三十九年文化財保 護法第百十五条の規定により重要文化財となった。」 とあります。 住 所:滋賀県大津市木下町7−13 電話番号:077−522−2057 ひとこと:この神社は、他に類をみない特色がありました。 それはね・・・。 社務所に選挙事務所がある!ってことなんです。 ・・え、さて(笑) 琵琶湖のお膝元。大津市にも不思議と「祈雨」の霊験を誇る神 社が、いくつかあります。 現在、日本国中が雨不足で、「給水制限」が行われている時で も、琵琶湖を給水源とする私達、関西の地域は、なんというこ ともなく、水が供給されているのに(かび臭いことはあるけれ ど)不思議なことだと思いませんか? つまり、雨降りの霊験を謳う神社は、「治水」の技術ができる 以前からあったということなのかも知れません。 しかし。それにしても、この、和田神社は、琵琶湖のすぐ側で、 すぐ側に「相模川」が流れています。 祈雨の為に神社を創建しなくてはいけないほど、この地域に水 が不足したとは思えないのです。 この神社が建てられた、白鳳四年に何があったか、調べてみま しょう。 奈良で、丹生川上神社が、「人聾ノ聞エザル深山二吾ガ宮柱ヲ 立テテ敬祀セバ天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ霧雨ヲ止メム」との 御神託に因り創立されています。 また、日本書紀によりますと、龍田大社と廣瀬大社の神祭が行 われたとなっています。 また、同じく京都の矢田寺が、天武・持統の勅願寺として建立 されたのもこの年です。 その他、長崎県では、「厳原八幡宮神社」が。「赤崎愛宕神社」 が建立されています。 近江一宮である、建部大社が移転したのも、この年です。 こうやって見てみると、天武・持統の両帝は、この年、何かの 理由があって、武勲の神と、祈雨の神と、火の神を西日本各地 で移動させたり建立したりしているのが分ります。 なぜ? しかも、日本書紀によると、天武天皇の即位は西暦672年。 白鳳元年は、西暦654年になるはずですから、この時の天皇 は、斉明天皇なのです。 事実、天武天皇の白鳳時代は、西暦672年から始まる、とす る記述を多く見かけます。 しかし、ここ、和田神社は、白鳳4年は、西暦657年だと言 っています。 この18年の差はどこから来ているのでしょうか? まぁ、単なる書き間違いかも知れませんけどね(^^ゞ とにかく、この年、何かがあったのでしょうね。 天智天皇軍を負かして、天下を制したはずの天武天皇が、何を 恐れて(?)いたのでしょう。 今の私達が思い付く、天武天皇にとっての一番の脅威は、妻た る持統天皇以外思い浮かばないのですがね(^^ゞ