祭 神:天智天皇妃倭姫 説 明:天智天皇のお后・倭姫をお祀りした神社です。 住 所:滋賀県大津市滋賀里3丁目天塚 電話番号: ひとこと:倭姫は、天智天皇の皇后で、34代・舒明天皇の孫に、 当たります。 天智天皇との間に御子がなかったので、影が薄いです が・・・。 この神社の裏手にある古墳「赤塚古墳」が倭姫の墳墓 であるという伝承から、この神社の祭神にされている ようです。 さて、倭姫のことを調べようと、「日本書紀・天智天 皇紀」を見直してみたのですが、記述は、ありません でした・・・A(^-^;; ただ、おもしろい記述が見つかりました。 「都を近江に遷した。この時人民は遷都を喜ばず、諷諌 するものが多かった。童謡(わざうた)も多く、夜昼 となく出火するところが多かった・・・」 出火・諷諌は、わかりますが、童謡??? 童謡が多かったら、なんだと言うのでしょう? この時代、意味不明の童謡が爆発的に流行することが あり、それが彗星の出現などと同じく、凶兆として、 受けとめられていたようです。 例えば、斉明天皇(天智天皇の母親)6年には、こん な童謡が流行したと日本書紀には記載されています。 「マヒラク、ツノクレツレ、オノヘタヲ、ラフクノリカ リガ、ミワタトノリカミ、ヲノヘタヲ、ラフクノリカ リガ、カウシトワ、ヨトミ、ヲノヘタヲ、ラフクノリ カリガ」 訳として、 「背中の平たい男が作った山の上の田を、雁どもがやっ てきて食う。天皇の御狩りがおろそかだから雁が食う のだ。御命令が弱いから雁どもが食うのだ」 という文章が記載されていますが、ということは、 「ラフクノリカリガ」を「雁どもが食う」と訳すのでし ょうか? これは、斉明天皇の新羅征伐の失敗を予言した童謡で あるといわれていますが・・・。なんで? よくわかりません。 何か凶事がある前には、こういった訳の分からない歌 が、爆発的に流行したんだそうです。 この近江の地に都があった時、そんな童謡がよく、歌 われて、流行したんですね。