祭 神:吾田鹿葦津姫命 説 明:ご由緒書を引用します 「創立年代は不詳なれど地方の古社にして延喜の制小社に列し、延喜式神名帳(西暦905年)に 当社の社名、鎮座地が所載されている。 社殿にいう欽明天皇即位三年三月(西暦542年)春日部乙身勅命により幣物を捧げた後、慶雲 の起こるによりて、この地に遷し、敏達天皇の皇子社頭に賽す。 或るいは口伝へに日ヶ奥にありしを洪水により、この地に来ると云う。 明応元年八月(西暦1492年)社殿を再建せしも、元文四年七月(西暦1739年)八朔祭の松明の 火で炎上、寛保二年九月(西暦1742年)造営して同月19日遷宮する。現在の本殿は、当時のも のである。 当時は、公郷武家の崇敬が篤く、岩倉具視は、自筆の神号額を納め、領主は高五斗の御供田を 除地とする。 寛政四年(西暦1792年)当村字東山171番地内より八幡宮を合祀する。 明治四十二年同村多利字東山より天満神社を合祀する。 明治六年十月村社に列し、昭和三年十一月県社に昇格する」 住 所:兵庫県丹波市春日町多利 電話番号:0795-74-0646 ひとこと:それにしてもなぜ、この土地に木花開耶姫なのでしょう? 宮司さんによれば、本殿裏の磐座は、女神を救ったという伝承があるそうです。 神戸新聞2008年10月20日の記事を一部引用しますと、 「伝承によると、一帯で洪水が起こり、木花咲耶姫命が濁流に襲われた。流される途中でこの岩 にとどまり、事なきを得たのだという。『平地が続く土地の真ん中に、こんなに大きな岩があ ったのは不思議。もしなければ、神様はそのまま流されて言ったかも』と、宮司は目を細める」 とのこと。 咲耶姫を救った磐座は、いかにもどっしりとした風貌なのですが、興味深いのは、「洪水」に ついての伝承が二つも残っていること。 地図を見ると、確かにすぐそばを川が通っています。 ええっと、竹田川になるのかな? 丹波市だから加古川水系だろうと決めつけてしまいましたが(超地理音痴)、由良川水系なん ですね。 昔からよく水があふれたのでしょうか? 桜は鎮魂の意味のある花です。 往古、人が亡くなると、墓碑代わりに桜の樹を植えたのだとか。 ……そんなことを考えれば、洪水で亡くなった人の鎮魂の意味があったのではないかとも思え るのですが……。 そしてそう考えたとき、木花開耶姫という女神の多面性に驚かずにはいられないのです。