祭 神:英賀彦神 英賀姫神 菅原道真公(天満宮) 誉田別命(八幡宮) 天児童屋根命(春日宮) 説 明:境内案内板を転記します。 「当社は、国史見在社でありまして、播磨国風土記によれば、713年に伊和 大神の御子英賀彦神・英賀姫神は、祖神の命により当地を本拠として播磨灘 沿岸地域を開拓創始し、庶民安堵の国土を修理固めなされた総産土大神であ ります。ゆえに古くより英賀国大神として祀り、元慶五年(881年)神位 従五位下に昇叙され、国司武将を始め衆庶は、創業開発の神、縁結びの神と 仰ぎ尊信の誠を捧げました。三木通近が英賀城主となり、領内発展の興隆に あたり、嘉吉三年(1443年)天満天神・八幡大神・春日大神を勧請鎮祭 して、領内の総氏神とあがめ、大いに治績を挙げ、播陽の重鎮となった。以 来歴代の城主は、祭祝盛儀を尽くし、社殿は荘厳華麗を極めました。 天正八年二月(1580年)羽紫秀吉は、英賀城攻略に際し、特に当社に除 火の令を出して敬神の誠を致した。かかる由緒ある神社のため、明治四年社 格制定に当たり、郷社に列せられ、同十三年県社に昇格した。その後、氏子 並びに崇敬者は古来の歴史と伝統を鎮護して現在に至りました。」 住 所:兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町2−70 電話番号:079−239−6921 ひとこと:非常に個人的な話しではありますが、この神社の主祭神のように、同じ冠に 「彦神」「姫神」が対となっている夫婦神を見ると心が騒ぎます。 記紀神話中に夫婦神は何柱か存在します。 大国主命と須勢理姫。 素盞鳴命と櫛稲田姫。 そして、伊邪那岐神・伊邪那美神。 これらの夫婦神の中で、もっとも「夫婦」としての印象が強いのは、最後の 伊邪那岐神・伊邪那美神のペアではないかと思うのですがいかがでしょうか? それは、この二柱の神が、日本国土を作り挙げた、日本初の夫婦神であると いうこともあるのでしょうが、何よりこの二神が同時に生まれた。 つまり、双子の兄と妹として生まれたということにあるような気がしてなり ません。 古典文学において、 「背(兄)の君」とは夫を指し、 「妹(いも)」は、妻を指しますよね。 古来、夫婦とは、この世に同時に発現した存在だと考えられていたのではな いかと思えてならないのです。 この場合の夫婦とは、表裏一体であり、ベターハーフ。 つまり、互いが互いのために作られた存在。 片翼であり、半身である存在。 他に代わりのない存在。 その名までが、一つの冠を共有する存在。 そう感じるからなのです。 実際のところ、大国主命は須勢理姫のほかにも多くの妻を持って、須勢理姫 を苦しませますが、 伊邪那美神の死後、伊邪那岐神は再婚することがありませんでした。 伊邪那岐神は伊邪那美神を生き返らせることに失敗し、あろうことか夫婦喧 嘩をしてしまいましたが、それでも、彼女以外に自分の伴侶がいないという ことを知っていたのでしょう。 さて、それでは、英賀彦神と英賀姫神について見て見ましょう。 この二神は、記紀には登場しません。 播磨国風土記の中から「餝磨郡英賀の里」を引用しましょう。 「土は中の上である。 右、英賀と称するのは、伊和大神のみ子の阿賀比古・阿賀比売の二はしらの 神がこの処に鎮座しておいでになる。だからこの神の名によって里の名とす る」 。。。。。 えぇっと。 これだけですか? えぇ、これだけです(笑) ただ、この両神が、伊和大神の子であるということは、重要でしょう。 つまり、伊和神社のある宍粟市一宮町を北の本拠とした氏族が、この付近ま でも勢力を伸ばしていたといえるからです。 そして、その御子神の神社を鎮座させたということは、ここも拠点の一つで あったということでしょう。 それにしても「英賀(あが)」ってなんなんでしょう? 子供が真似をしたら危ないとかいう理由で、今は「ジャンケンポン」にとっ て変わってしまいましたが・・・。 「さぁ〜て、来週のサザヱさんは?」 ・・・・・・・ 「それではみなさん、ごきげんよう、ア・ガ・ン・ン」 ってのを思い出すのは私だけですかね(笑) つまり、「英賀」とは、咽喉をつまらせる音!!!!! ・・・・・なわけないか(^^ゞ 源氏物語を習ったとき、「あか」=「閼伽」が水のことを指すと習いました。 英賀が水のことならばとても面白いのですけれどね。 磐を意味する名を持つ「伊和大神」を父とし、水を意味する「英賀」を名と する兄妹の神・・・なぁんて。 が、閼伽は仏教用語。 可能性は極めて低いでしょう。 ただ、「閼伽」が日本語か中国語だけで使われる言葉だと思うと、足元を掬 われるんです。 英語で水のことを「AQUA(アクア)」と言いますよね。 水を示す「閼伽」は、もともとインドはサンスクリット語だったんだそうで、 三省堂の「例解古語辞典」には、「閼伽」の要説として、 「暑いインドで、水は疲れた人や旅人をねぎらったりするのに用いられた。そ れが仏教の伝来とともに、我が国にただの仏教上の習慣としてとりいれられ たもの。」 と追記されています。 播磨の国を旅する旅人が、疲れて宿を乞うと、親切で美しい一組の夫婦が、 寝る場所を提供してくれ、美しく澄んだ水を一杯差し出してくれた。 その水を飲むと、旅人の元気は百倍。 腫れた足の裏はすっきりし、棒のようになった脚はしゃんとして、汗まみれ の額は白絹のように輝き、疲れて倦んだ目はきらきらと輝きだしたのである。 何を隠そうこの夫婦こそ、水の精霊、閼伽の神、英賀彦と英賀姫の神なので あった・・・とかね(笑) なにしろ、伊和大神を奉じた人々の大切にした神々であることは間違いあり ません。 それは仲の良い、美しい一対の夫婦であったのだと思えるのでした。