祭 神:吾平津姫命 天照皇大神 武甕槌命 倉稲魂命 天児屋根命 木花咲耶姫命 経津主命 説 明:和歌山神社庁の案内を引用します 「当社は元明天皇の御代の和銅二年(七〇九年)の創建にて、乙姫大明神と称して、江戸時代。 飫肥十一社の一つとして歴代の藩主の崇敬篤く、明治維新に際し伊東裕帰知事の意により吾 平津神社と改称され、昭和八年郷社となる。 境内に御門神社二社があり、櫛磐間戸命、豊磐間戸命の二柱の神をお祭りしてあります。 その外に境内末社として、祖霊社、又豊漁及び商売繁昌の霊験あらたかな乙姫稲荷神社が鎮 座されています。 主祭神の『吾平津毘売』は宮崎神宮の御祭神『神武天皇』が狭野命と称され、また日向に在 られた頃の妃であり『古事記』によれば、お二人に間には『多芸志美々命』、『岐須美々命』 二人の皇子がありとあり、又、『日本書紀』によれば『手研耳命』お一人の皇子ありとある。 神武天皇が皇子や群臣と共に日向を立って大和朝廷をおこすために東遷された時、『吾平津 毘売命』は同行されず、当地に残られ、この油津の地より御東遷の御成功と道中の安全をお 祈りされました。 この故事により、当神社は交通安全、航海安全、商売繁昌、諸祈願成就の神様として篤く信 仰されています」 住 所:宮崎県日南市材木町9-1 電話番号:0987-22-2863 ひとこと:なぜ「乙姫神社」を、吾平津神社に改称したんでしょうね? 乙姫(豊玉姫)=吾平津姫なら、火火出見尊=神武天皇だよな~……。 なんにせよ、海の民のお姫様が、鉄器を持った氏族に嫁いだ歴史があったのかもしれません。 宮崎の歴史は5万年前から始まる……と、西都原考古博物館の展示にありました。 石器時代から始まる歴史の中で、神武天皇、あるいは火火出見尊や瓊瓊杵尊の到来は、まだ 歴史としては浅いでしょう。 それ以前の宮崎に思いを馳せてみると、そりゃもう海の幸に恵まれた、豊かな土地だったの ではないかと思います。 油津は運河の街で、歩いていると船が何度か往来しました。 魚もおいしいんだ!海っていいですね。 鵜戸神宮は観光客でごった返していましたが、ちょっと離れた油津は静かです。 外国語も聞こえてこないし(笑) 鵜戸神宮の圧倒的な聖地ぶりにも感嘆しましたが、油津も、もう一度来たい場所です。