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祭 神:秋鹿日女命 罔象女命 説 明:境内案内板を転載します。 「出雲国風土記に「秋鹿社」とある。また、秋鹿郡の郡名の由来に 「秋鹿と号くる所以は、郡家の正北に秋鹿日女命坐せり。故、秋鹿と云ふ」とある。雲陽誌に「姫二所大明神 風土記に載る秋鹿社是なり」とある。松平藩の時代、社殿の再興修繕の節には、郡中より玄米七俵づつの寄 附により費用を補助する例があった。明治五年三月に村社に列せられ、明治三十九年の勅令により明治四十 年四月二十八日の島根県 ・告示を以って神饌幣帛料を供進することを得るべき神社と指定された。 現在は 特別神社に指定されている。 御井神社は延喜式内社であったが、中古、社が衰顔して秋鹿神社に合祀された。慶長七年壬寅八月の棟札に 「姫二所大明神」の社号で社が再興されている。社号を「姫二所大明神」と称する故は、秋鹿日女命と罔象女 命二柱の女神が鎮座されている所以である。 秋鹿は収穫の秋に活動する鹿で、豊作の象徴。秋鹿日女命は、その秋鹿一郡を開拓した部族の守り神であり、 罔象女命は伊邪那美命が火の神をお産みになった後ご臨終のお苦しみの中、その尿からお生まれになり、肥 料分を含み植物の養液となる水の神である。 この二柱の女神は、古より家内安全郷内無事 五穀豊穣 諸人快楽皆今満足の願いを成就させて下さる守り神 として厚く信仰されている。 八幡宮は秋鹿川の河畔に鎮座されていたが、ある時洪水でお社が境内地とともに流されたために秋鹿神社に 合祀されたが、その年代は不詳である。貞享三年の丙寅八月の棟札には、「奉建立八幡大神秋鹿日女命 天 長地久祈所」とある。 また、秋鹿日女命を蛤貝比売命とし、大己貴命の火傷を治療なされた女神と伝わる。」 住 所:島根県松江市秋鹿町2853 電話番号: ひとこと:秋鹿日女=蛤貝比売なのならば、もう一柱の女神はキサガイヒメなのではないかと思ったのですが、本来、 ウムガイヒメが単独で祀られていた神社に、ミズハノメを祀る御井神社が合祀したということですね。 出雲国風土記、島根郡 法吉の郷の条には、 「神魂命の御子の宇武賀比比売命が、法吉鳥となって飛んで来てここに鎮座なされた。だから法吉という」 と、あります。 法吉鳥については、かっこ書きで「鶯」とありますから、「ほーほけきょ」を「ほうき」と聞きなしたん でしょうね。 松江市には、現在も法吉町があり、法吉神社が鎮座していますから、ここ秋鹿神社は別口(笑) あるいは、ウムガイヒメ=アイカヒメも、後世の付会かもしれません。