祭 神:天目一箇命 説 明:由緒書から転載します。 「【荒田神社縁起】 荒田神社の社伝によれば、天平勝宝元(749)年に少彦名命が村内の福原字神立に降臨されました。 その夜から大雨が降り続いたので、村人たちが字野尻(神立)に小社を建て、雨があがるのを祈っ たところのがはじまりと伝えられます。その後、平安時代には、坂上田村麻呂の尊崇を受け、田村 麻呂の寄付によって本殿を造営し、上棟の日に白馬六十疋を献じたとも伝えられています。 【峰相記】(南北朝時代の播磨の地誌) 天平勝宝元年に赤い衣服をまとった女人が天から降臨し、坂上田村麻呂が社殿を建てたと伝え、延 喜式内播磨二宮であると伝えます。 【播磨鑑】(江戸時代の播磨の地誌) 播磨二宮荒田神社は、天平勝宝元年に、赤い衣服をまとった唐の女人が天から降臨し、農耕作中の 山茂雄(やまのしげお)が地元の僧明源上人とともにその地にいくと、女人はこの地に縁があるか ら降臨したと言ったため、その地に社殿を祀ったと伝えます。 【播磨国風土記】(奈良時代の播磨の地誌) 播磨国多哥郡眉里荒田の地名由来として、この地にいた道主日女命という女性の神様が子神を生ん だが父親がわからず、父神を見つける為、諸神をあつめて『盟酒(うけひ)』を行ったところ、子 髪が酒を注いだのが天目一命だったので、父神が判明した。その後、酒作りのための米をつくった 田は荒れたので『荒田』という地名がついたという地名伝承が記載されており、荒田神社はこの道 主日女命と天目一命を祀った神社であると伝えられる。 以上のように、荒田神社にはさまざまな創建の縁起伝承が残されており、延喜式神名帳には『多可 郡6坐』のひとつにあげられた式内社で、播磨二宮であると考えられています」 住 所:兵庫県多可郡多可町加美区的場145 電話番号: ひとこと:降臨したのは少彦名なのか、赤い衣服の女人なのか、赤い衣服の唐の女人なのか……。 唐の女人だとしたら、どういった身分の女性だったのでしょう。 田村麻呂といえば武人ですが、赤い衣装の女性とどうにもこうにもつながらないなぁ(^^ゞ う~ん……妄想したいんだけど、糸口がありません(笑)