祭 神:天宇受売命 脇祭神:猿田彦命 説 明:境内案内板を引用します。 「当神社の創立年代は明らかではないが、社伝によれば人皇第八代孝元天皇の皇女倭迹迹姫の降 誕生によって勧請し、履中天皇の御代に再建されたと伝える古社である。 もと千代宮と称していたが、明治二年千代神社と改称され、明治九年郷社、明治十六年には県 社と指定されていた。 ご祭神の『天宇受売命』は、記紀などの記述によれば天岩屋戸神話(天照大神が須佐之男命の 乱暴を嘆かれて天岩戸に神隠れされて暗闇となったとき、その再現を仰ぐため神がかりして歌 舞され、世の平安と明るさをとりもどされた話)や、天孫降臨神話での活躍が伝えられる女神 さまである。 古来そのご神効を称え俳優の始祖神芸能の守護神として歌舞演芸などの諸芸にたずさわる人々 の崇敬が篤く、また世にやすらぎをもたらす神として庶民の尊崇も集めている。 往古から佐和山の麓姫袋(現古沢待ち)に鎮座されていたが、天正十八年石田三成が佐和山城 を築くにあたり、彦根山麓の尾末(現尾末町)に移築。慶長六年彦根藩主井伊直政が彦根城築 城に際し再び旧社地姫袋にお移ししてそれ以後井伊家の尊崇篤く、多賀大社胡宮神社等と共に 神域の護持がはかられてきた。 爾来約三百年間幾多の変遷を経ながらも産土信仰などとも相まって、地域の氏子の信仰を集め て戦後の混乱期も乗り越えてきたが、昭和三十年代後半の急激な経済成長期、隣接するセメン ト口上の増設拡張による粉塵公害に対処し重要文化財のご本殿の護持と神域保全をはかる目的 で、当神社の移転を計画。この土地(旧大橋邸)を求めて氏子の同意、文化財保護委員会の許 可を得て照和四十一年産が多雨に移転工事の竣工、同年五年正遷宮祭を斎行し現在地を悠久の 静宮として鎮座されたものである」 住 所:滋賀県彦根市京町二丁目九番三十三号 電話番号: ひとこと:なぜここに、倭姫が立ち寄ったのか。 そしてなぜ、天宇受売命を勧請したのか、気になりますね。 ここからかなり南ですが、甲賀にある瘡山神社は、倭姫が立ち寄って一休みしたと伝えます。 そこに笠をかけたから「かさやまじんじゃ」の名があるとありました。 そしてその神社の絵馬はオコゼ。 醜い女神に遠慮して、醜いオコゼを供物とするのです。 でも、天宇受売命は美女の女神。 少し話が違いそうですね。